短文処世術(SNS過去投稿)まとめ解説回その17だぜ
どうも主に姫路にいるhideです。
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それでは本編へGO
意識高く意識低く
極端さにどこか居心地の悪さを感じてしまう僕は、両方持っていたい。
そうするとどっちつかずにもなるんだけどそれでもいい。
これは逆に言えば意識高くなりすぎたくないし意識低くなりすぎたくないってことだ。
熱いという概念は冷たいという概念があって初めて完成する。
めちゃくちゃ熱いってのはめちゃくちゃ冷たいを知ってこそ自然だ。
光が増せば増すほど影は濃くなる。
意識を高くすればするほど低さも容認することになる。
でなければ意識が高いなんて概念はない。
承認欲求のコントロール
性欲、睡眠欲、食欲、の三大欲求に新たに食い込んできた承認欲求。
得られないと現代人はどうやら死んでしまうらしい。
承認欲求があるのは悪いことではなく、もはや自然なこと。
だからこそエネルギーにもなる。
寝なくて良い、食べなくて良い、性に関心もない、、おそらく何もしなくて良いので生きなくて良くなってくる。
承認欲求もそれらと近い生きるためのエネルギーみたいなものがあり、なさすぎてもエネルギーが生み出せず、ありすぎても拗らせて死んでしまうというようなものなのかな。
欲望をコントロールする。
食べることと、寝ることは、赴くままでさほど問題はないが、性欲は人間社会では違う。ヤりたい!と思った時に手近に行為に及んではいけない。
承認欲求の性質は性欲の在り方に近い。
手軽にイタズラに満たしてはいけない。
人であるために我慢も大切だ。
承認欲求モンスターとは人すぎて動物的なのだろう。
ちょっと何言ってるのかわからない
アートとロジックを相反するものとして捉えてるみたいだが、見返すとよくわからないw
芸術とは感覚的なもので、哲学とは論理的なものだと思ってたのかな。
今思うと、芸術やアートにもロジックはある気がするし、哲学にも感覚的なものがある気がする。
アートで絶望を描くことも哲学で希望を語ることもある。
いっときの思いつきでこうして投稿してるけど時に浅いこともあるのが良いねw
処世術
おかげさまで気分良く毎日過ごしてる。
だけどパラメータとしては僕は本来生きやすい個体ではない。
生きにくいから生きやすくなるように多分無意識ではあるが相当努力をしてきた。
ほとんどはマインドセットでどうにかなる。
そういうことが1人でも伝わればラッキーだ。1人でも多くの人に伝えたい!とも思っちゃいない。そんな事をイチイチ考えないことも処世術の一つ。
ここで書いてる労働の謎はよくわからないし覚えてないが労働の捉え方もたくさんある。
目的や、やり甲斐があるのとないのとどちらが良い?と問われれば、ある方が良いに決まってそうだが、個体によってはそうではない。
あるが故に、求めるが故に苦しむ場合もある。
本当に欲しいものは何か?
まずはそこだけあれば良しとする。
生き辛い人の多くは自分ではない誰かの生き方の最適解を正解と捉えてそれをやろうとして、できないので苦しんでる。
人生のフェーズ表
人生のフェーズの見える化。
住む世界の可視化といってもいい。
これを僕は雑ではあるがこう作っている。
頂上の悟りの領域の人間だけが全てのフェーズに適切に干渉できる。
そして最下層の餓鬼修羅の領域は悟りの領域からしか干渉できない。
それ以外は棒線で仕切られた一つ向こう側まで干渉できる。
自由、安穏、挑戦の人は幸福と豊潤、または絶望の領域には干渉できコミュニケーションがとれるが、悟りの話は理解できないし、苦悩や貧困の領域のこともわからない。わかってたことであっても忘れてしまう。
まぁこんなのは僕が思いつきで作ってるものなので何の確証性もないんだけど、個人的にはしっくりきてるのでまだまだ煮詰めたい理論。
たまに言われる偏差値が20違うと話が通じなくなる、、みたいな話のマインド版だと思ってもらえれば。
ちなみに僕は基本的に「絶望」の領域でのんびりして、たまに「安穏」や「自由」を行き来してると思ってる。
そこに行くには一度「挑戦」も通る必要があるが一度経験すればルーラみたいなもので飛び越えられるイメージだ。
僕は「苦悩」や「貧困」も忘れたくないのでそこを感じられなくなる「豊潤」や「幸福」の領域には行きたくない。
人によっては最初から「安穏」「自由」の領域を手にしてる人がいる。
これがいわゆるガチャだったり勝ち組ってやつだ。それはもう仕方ない。
「貧困」生活もままならない領域もある。
「苦悩」する。そして世の中のコトワリに「絶望」する。
むしろ絶望は貧困や苦悩よりも上のフェーズである。最下層は餓鬼修羅の領域と名付けているが、こういうマインドの領域に堕ちるとなかなか這い上がれない。
貧困や苦悩から抜け出すためにはキチンと絶望するべきだ。
僕はこの絶望こそが世界の基本だと思ってる。まずは絶望することがスタート。
絶望を知らない人には何も成し得ない。
勝ち組が浅はかで世界の課題を解決できないのは無能だからではなく絶望を知らなすぎるからだ。
そして「絶望」から抜け出すには「挑戦」が必要でこのあたりが1番ダルいw
だけどその先にはええ感じの領域が並んでいる。
しかし皆が皆が上ばかり一気に目指しすぎてしまうと世界の隔たりができて、社会が機能しなくなる。人と人がコミュニケーションがとれなくなるのだ。色んな領域の人が無理なく手を取り合うには皆でかけ上がろうとしてはいけない。まぁそんなものはコントロールできる事ではない。だからこそ高望みをしない人間というのも必要だ。
格差社会というのは、それこそ挑戦するものもいなければ安穏に自由に暮らすものもいない社会だ。
ほぼほぼの多くの人が絶望し、わずかな人が豊潤と幸福に満ちるも、さらにごくごくわずかな悟りを開いた人しか多くの民とはコミュニケーションがとれない。
もはやその存在を人は神と崇めるようになる。
と、まぁ最後の投稿の解説は長くなっちゃったけど、ちょっと面白くないですか?
ブツクサ投稿、さらにブツクサ解説にお付き合いいただきありがとうございました(^^)
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(こちら僕の信念と理念です)
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