閲覧注意の超絶ロジカル劇場「砂鉄」の世界 第三回
どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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それでは本編へGO
ゾクゾクワクワクさせてくれる砂鉄氏
ベンチマークしてるX(Twitter)の砂鉄氏。
とにかくロジカルで歴史や学問に詳しく、数字にも文学にも強い。
そんな砂鉄氏は徹底的に合理的に世の中の時事ネタや慢性的な問題についてXで持論を展開し続けている。
その持論は極めて極端にも見えるが、とにかく痛快で爽快で同時に現代社会とは相容れず陰鬱で殺伐さも垣間見えて、そのいかんともしがたい溝に僕はゾクゾクする。
あまりポストをスクショして記事にするのは褒められた行為ではないんだけど、僕が影響を受けている人の1人ですよーということで、特に正体も不明瞭で著書などがあるわけでもないので最近の印象的なポストを紹介して、知ってもらいたい。
ただし!
ダメな人はとことんダメだと思うので、本気で気の優しい人、ガチンコ善人気質、メンタルが弱い人、マジで見ない方が良いです。この人ダメだ!!と思ったりした人もちゃんと避けていきましょう。
(過去の砂鉄劇場note)
それでは僕の勝手な補足も込みで砂鉄劇場を自己責任でお楽しみください。
弱者は始末した方が社会は発展する
今回の砂鉄劇場は弱者は救う必要がないシリーズ三部作。
これまでの砂鉄劇場は割と同意見寄りをとりあげてきましたが、今回は全く普段の僕の主張と真逆のポストをとりあげます。だからこそおもしろい。
うお!栄える、、とまでは言及してないけど、弱者は生かしてた方が良い論の僕には「お!」となるポスト。
知見と論理ステータスMAXの砂鉄氏の意見に興味津々!
ちょっと難しいかもだけど、なんとなくの雰囲気で読み取ってもらえれば、、
犯罪者どうこうのくだりはちょっと強引すぎるなぁと思った。
でも、いっさいの犯罪者のいないユートピアみたいなものを想像してもらうとして、果たしてその社会が本当に存続できるのか?は、なんだか、、説明できないが種はすぐに終わりそうな気もする。
人間も所詮は動物、生物で、自浄作用のようなものが働いているというのはあるのかもしれない。
「弱者救済」は社会のためというよりは、ただの「お気持ち」で行われていること。というのはそうだと思う。
でも僕はその「お気持ち」が人間の核でもあると思ってて、そのためにあーだこーだそれっぽい理由をつけて納得しようとするのは必要なことなのではないかな。
だけど「お気持ち」ばかりになるとろくでもないことになるのである程度の残酷さ、ドライさも同時に必要だと思う。
このバランスを自分の思想にも保ちたくてこういう砂鉄氏のような知見の深い人の極論を見る。
バカの極論は不快が勝ちすぎる。
犯罪者は恣意的ではなく、合理的に自然に弱者を選別し殺していく。
なるほどなぁ、、
「お気持ち」が完全に欠如した犯罪者が弱者を間引く。弱者同士で社会から消えてくれるというわけだ。
意見が気持ち悪い人は無理に読まずに退散してくださいね!
強者だけで世の中はちゃんとまわる
お次はこちら
弱者を殺せば、また新しい弱者が生まれる。 これも僕がよく言うやつです(笑)
すんません、、
具体的にはこういうこと
このケースは確かにそう。
でも僕が言ってるのはそう言うことじゃないんだよな、、と思ってたら、、
うおー、、物をたくさん知ってる人は反論が鮮やかで悔しいー(笑)
僕の主張はまさに「相対評価」に対してなんよね。
そして最後に救いがあって「弱者を救うのはテクノロジー」これはマジでそうだよね。
テクノロジーを産み出すのは強者。
だから強者こそ大事にすべきと繋がっていくのかな。
まぁ、落とし所をマトモに考えると結局はバランスをとっていく話にはなるんだけど、バランスをとるにはどちらの極論も考えておく必要がある。
そして社会はそんなにも絶対評価で形成されてるのだろうか?
社会が絶対評価だとしても人間は相対評価で物事を考えてしまう人が多いように感じる。
なので勝手に弱者になったり、勝手に弱者を作ったりして、虐げ見下すんじゃないか?
そう言う意味では砂鉄氏よりも僕の方が「人間」を信じていない。
強者による絶対評価社会が形成されればまさに弱者は必要ない。
強者によりお気持ちの気分で生かせてもらえてる感じにはなる。
弱者は「あざっす!」と気持ち良く受け取れる器量が必要だろう。
人間を信じる事ができれば理想的な社会になる。つまりわかってはいることだが僕のようなゴミカスや"あなた"のようなゴミカスはやはり社会には必要ないのだw
生かせてもらえてる事にマジ大感謝!!
無敵の人など怖くない
弱者を虐げすぎたり、放置してると無敵化するので、適度に保護した方が良いよねー的な話。
すでに富裕層は富裕層どうしで殺し合ってる(戦争してる)ので無敵の人のような雑魚との戦いなど考慮する必要がない。
という思いつかなかった視点。
これは極めてマクロな物の見方だなと思う。ミクロなケースとして実際にいきなり無敵の人の被害に遭う、、というケースはあり、かなりダルいケースなのでそれを忌避したい!という思いから弱者の無敵化は避けたいよね、、という話になる。
だがマクロで見るとそんなケースより、常に健常者や富裕層は日常から戦ってる。という話。
富裕層争いで殺されても殺されたと認識しにくい(ニュースとかにはならない)ので、この捉え方は難しいなと思った。
やっぱ無敵の人は怖いなと思ってしまう。
というわけで、僕は弱者救済などは考えてはいないけど、自分も弱者なので、弱者が楽に生きれた方が楽じゃんw
というクズ思考ポジショントークを常日頃展開している。
そんな僕としては目耳が痛い内容だけど、同時に面白いなとも思う。
「弱者は社会に必要ない」
これは「仕事」という人間社会性においては今でも僕も唱えている。
「役に立たない奴はいらない」
という現実だ。
働くためにはどうにかして役に立つ人間にならないといけない。
本当に気が滅入ってる人は、こんな意見を真に受ける必要はないけど、元気なうちはこういう残酷な真実もキチンと捉えておく必要はあると僕は思ってる。
その上でやっぱりゴミカスな僕は弱者ものほほんと生きていける方が嬉しいし、実際のほほんと生かせていただいてる現状にとてつもなく感謝もしてる。
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