ひとりよりもひとり
友人、と思った時に浮かぶ人が1人しかいない。
わたしが友人と思う相手が友人という引き出しを開けた時、そこにわたしはいるだろうけど、何人かのうちの1人だろう。
昔だったらそれがたまらなく苦しくて、寂しくて、さらに大昔となればそれが許せなくてきつく当たってしまうことがあった。
今はもう、それが普通だよと言える。
みんな生活があるんだから。お前だけに構えるわけがないだろうって。
むしろ、友人は何人かいた方がベターな気がする。
1人しかいない友人に友人パワーを100%使ってしまうと、その相手はおそらくビビってしまう。
おそらくビビる、とオブラートに包んだがはっきり言おう。重いと思われる。
2人友人がいれば、友人パワーを50%ずつ使ってみる。
1人は心地よく感じて、もう1人は「あの子といるとちょっと疲れる」と感じるかもしれない。
友人パワーの使い方は大事だ。相手の反応を見て、調節する必要がある。
調節している間に相手が離れていってしまうこともある。そういう時はそういうこともある、と思うしかない。
少し話がずれた。
友人が興味を持ちそうな番組の放送日が突然発表された。
その放送が2週間後などであれば自然と知ることがあるかもしれない。
でも、これは今夜放送だ。どうして当日に情報解禁なんだ。
何度か悩んで、連絡をしようとして、結局しなかった。
余計なお世話かも、興味がないかも、連絡に気付かないかも。
ネガティブなカモが何匹も思考の池を泳いでいた。
放送を終えた今、Twitterでは(私は今後、XをTwitterと言うし、STARTO ENTERTAINMENT所属のタレントをジャニーズと呼び続ける)かなり反響があるっぽい。録画したやつ、早く見よう。
ハリウッドザコシショウが自腹で放送枠を買い取り、制作費も全額出資した特別番組を制作、放送するニュースについてはすぐに連絡した。
わたしの中でたった1人の友人の思考はザコシ>宮﨑駿だと思っている。