文学フリマに出ることを家族に明かした大森
福本さんが素敵な記事を!
来場者の方だけでなく、我々出店者に対しても見本誌の大事さを説いております。とってもわかりやすい見本誌のすすめ、ぜひお読みください。
母に「19日ね、本のフリマに出る」とざっくりした伝え方で文フリのことを伝えた。
本のフリマ、と嘘でも本当でもない言い方をすることで古本を売るイベントだと勘違いさせるつもりでいたが、母は意外にも鋭かった。
「なに、薫が書いた本を売るの?」
え、なんでわかるの?本のフリマとしか言ってないよ。フリマって聞いたら、蚤の市の方を想像しない?
「えー、はい。そうです。」
悪いことをしていないのに敬語になってしまう。
「すごいじゃん、自分で書いたんでしょ?」
誰にも文学フリマに出ると話をしていないから麻痺していたが、自分で何かを書いて本にして売る、というのはそれをしない人からするとすごいらしい。
そうか、すごいのか。すごいってよ、皆さん。
「いくらで売るの」
「300円」
「売れるかもしれないし、売れるかもしれない?」
「うん、売れない可能性の方が高い」
「あれでしょ、なんだっけ。あれみたいな」
「あー…うん、コミケ」
母がコミケという言葉を知っていたことにも驚く。
読ませて欲しい、と言われたが「顔を知ってる人が書いたものは面白くないよ」と言って断ってしまった。親に見せて恥ずかしいものを書いているわけではないが、それとこれとは話が違う。
頻繁にセブンへ行っていたのはコピーのため、やたらダイソーに行っていたのは値段表とか小物のため、裁縫なんてガラじゃないのに布を買ってアイロンまでかけていたのもスペースで使うため、と種明かしをすると「なるほどねー」と納得してくれた。
母に話したので、妹にも話しておこうと思い「薫ちゃん、お店やるから」とまた違う角度のざっくりとした伝え方をしたら、ネットショプで雑貨屋でもやるのかと勘違いをさせてしまった。
「本をね、作ってみんなで売る大人の文化祭みたいなのがあって…」と伝えたらやっぱりそこでも「すごいねー」と言われた。
じぶんの理解の範疇を超えると人は「すごいね」と言うのかもしれない。
家族に文フリ参加を伝えられて少しすっきりした。