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21時半過ぎ、うとうとしたけど起きてしまって、22時頃に寝なおし、軽めの悪い夢を見始めて起きよと思って時計みたら3時。やっぱりこの時間帯なんだなぁっと。窓とカーテンあけて、フルーツ食べて、あったかいもの飲んで、二度寝(無理に眠るんじゃなくて寝れたら寝るスタンス)します。
ここ数日、とあるきっかけで21時に就寝する実証実験してます。副鼻腔炎や偏頭痛と同じくらいむかーしからの付き合いである不眠おばけや悪夢アラートたちと生きていく落とし所を見つけたい。そろそろ照明落として横になろ。おやすみなさい。
私は金銭的な面で家族に負担を強いられたことはない。末っ子だからか何も心配することない、知らなくていい。という愛情とその代わりにこの範囲で決めなさいという制限のなかで自分の存在意義、ロールを求め、両親の精神的な負担を無意識にそして自発的に背負ってきたことに最近やっと気が付きました。
わりと当たり前にみんなやってるけど指定席の交通機関で今のところ隣の席の人がいないからと荷物を置いたり、無償幼児を座らせたりするのって、その席の人が来て見ると気分悪いよね。せめて乗り降りのタイミング(駅に停車、発車して少しするまで)は来る可能性高いから空けておこうよって思う。
つい自分のことを後回しにしてしまうという方は自分の心と身体を他者(例えば自分の子ども)だと思ってみてはどうだろうか?『うちの子、21時に寝かせないと次の日機嫌悪くなるので』『うちの子、日中ハードに動きすぎると興奮しちゃって落ち着くまで時間がかかるので』とか。自愛ってこういうこと。