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ever free④ ~Final Day

2000年から2005年前までの5年間、
正確には5年と66日間、横須賀の海沿いに建てられていた「hide MUSEUM」
のことを、記憶と記録に残してみたかったので、書いてます。

前回のお話「ever free③」

幸せな時間にも限りはある

楽しい楽しいMUSEUMとの蜜月に突然告げられた、終わりの日のこと。

2005年 4月17日。hideのオフィシャルサイトに
2005年9月25日をもって、hideMUSEUM 閉館」という知らせが出た。

知らせの翌日は、母の3年目の命日だった。
母の墓に行けない事情があるため、母の祥月命日には hideの墓とhideMUSEUMに行くのを、勝手に毎年の恒例にしていた。この年も同じように予定を組んでいて、次の日の横須賀行きを楽しみにしていたところに飛び込んできたニュースに、私の心はパニックになってしまった。

以前から、MUSEUMも永遠に続くわけじゃない。覚悟しておかなきゃね‥。と仲間同士で話してきたことではあった。だけど本当の覚悟なんて全然できてなかったのだ。悲しくて、現実を受け入れることができない。
来年のお母さんの命日には、どこに行けばいいの?どこで年を越せばいいの?

当時の日記に、書いていた言葉。

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だいぶ自分を見失っていた。
ここから数日間、当時のブログにはウザい独りよがりな悲しみが書き込まれていくことになり、友達いなくなるぞお前。。とあの頃の自分に言いたい。

当然、悲しいのは私だけではなかった。

告知が出た時から閉館日まで、5か月ちょっとしか残っていない状況。
残された時間を、どう有意義に使うか?あと何回、MUSEUMという存在に会いに行けるのか。スタッフのみんなに、何回会えるのか。Cafe Le Psyence(ライブハウス)を借り切って音楽イベントでもやろうか。
みんな、思い思いのお別れの仕方を考えていた。
この場所があったことを、何か一つでも刻みたかったんだと思う。

かくいう私も、立ち消えになった計画や破綻した友人関係があった。
計画性、決断力、思いやり、心の余裕。
が、私に足りなかったのが原因だ。

15年経ってもなかなか風化できない、【思い出】なんて簡単に呼べないくらい苦い記憶…のひとつ。

最後ぐらい笑って終わりにしたかったっていう後悔はあるけど、時は戻らないから未来も考えないとなあ、とようやく思えるようになった。

最後の悪あがき

閉館の発表から5か月。
どんなにあがいても終わりは来る。

9月。
有休で4連休を取って横須賀のウイークリーマンションを借りた。
最後の悪あがきをするためだ。

仲間と、hideMUSEUMへ贈るメッセージをたくさんの人から集めて一つの巨大幕に貼り付けていったり、少しでも最後の時を充実させることに必死だった。

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【大切なことなので協調】
このメッセージの発案者は、私ではない。
住まいは遠く離れているけれど、今でも大切な友人によるアイデアだ。
ハートの一つ一つも、布をミシンで塗って成型してくれた。
すごいよね…愛しかない。

私はそれに乗っかっただけのちっちゃい人間だが「せめてメッセージを集める役目だけはしたい!」と張り切ってメッセージを書いてくれる人への呼びかけをしていたことは記録しておく。

こんな素敵なアイデアに参加させてもらえて、本当に感謝している。改めてありがとう。

愛しかないお別れの日。

◆当時のテンションのままおとどけします。
感情的な部分はお許しを。。

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最後の朝

2005年9月25日。台風で天気は荒れている。
朝、9時にマンションを出た。

すでにMUSEUMには長い行列が出来ていた。
わたしは行列の始めと終わりを行ったり来たりと走って、並んでる人達に呼び掛けて、ハート(メッセージ)の予定枚数を達成させた。

そんな私をずっと見ていた友人が、MUSEUMに入る列に便乗させてくれた。有難い。。
おかげで割と早い段階で敷地内に入れて、 真っ先に向かったのは
Cafe Le PSYENCE・・・の先の、海が見えるウッドデッキ。

まだ台風は過ぎてなくて、目の前の海は荒れ狂ってた。
近づくとずぶ濡れになる勢いだったけど、もうそんなの構わずデッキの先端へと進んだ。デッキと海との柵の前に立って、海側に向かってボロボロ泣いた。

カフェラに入る。ライブハウスのいっちばん前から会場全体を見渡す。
走馬灯のように思い出が溢れて止まらず、感情がメーターを振り切って、悲しさのスイッチが切れなくなってしまった。
一緒にいた友達と二人して大号泣。嗚咽が止まらない。もうさ、カフェラでの想い出がいちばん多いじゃん?多いんだよ。何かあったり、何もなくても通い詰めた場所だもんよ。。

本当の本当に、今日で終わる。タイムリミットは確実に近づいてくる。後悔しないように想い出の詰まった場所全部見ておきたい!今まで出会った全員に会いたい!みたいな勢いで、敷地内をフラフラうろうろグルグルした。
壁に寄せ書きも書いた。

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書いてきた手紙も、スタッフのみんなに渡せた。スタッフのなかでも大好きな、ZEROさんが言ってくれた言葉は忘れない。
『淋しいよねぇ・・・いつも来てくれてたっていうか、いつも居たって感じだもんねぇ?』
顔を覚えてもらえるくらい足繁く通っていたのは確かだけど、言葉にしてもらえるってこんなにも報われるものなのか。思いが通じたようで、また泣きそうになってしまった。

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いちど友達とマンションに戻って、メッセージの巨大幕を完成させた。曇ってた空が、いつの間にか青く晴れて。
2人で巨大幕を交代で抱えながら、MUSEUMへの道を歩く。

5年間、何度も何度も通ったMUSEUMへの道のりも、これで最後なんだなあ。営業しているMUSEUMへ行くことはもう、二度とないんだ。

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そこからは本当にあっという間だった。
ここでの5年間で出会った仲間と最後のバカ騒ぎして大笑いして。
風の吹き荒れるウッドデッキで阿呆な写真撮って笑って。
隅々まで撮ってやろうとか言って、今までにない角度から色んなMUSEUMを撮った。

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門がしまるまで

閉門までのことは、記憶があいまい。。
弟の裕士氏が最後の挨拶をしてから退場させられるのかと思ったら、突然にアナウンスで退場と言われはじめた。
そうなると、どうする???メッセージの巨大幕を渡すタイミングを、見失ってしまった。

どうしよう、どうしようって思ってたら『もう出しちゃいなよ、一生懸命作ったんだから・・・』と、別の仲間が背中を押してくれた。
皆に手伝ってもらいながら、巨大な感謝状が完全にみんなの目に触れる。

『今まで、ありがとうございました!』仲間みんなで叫んだ。

凛とした気持ちで、真っ直ぐに伝えられた。誰に何と言われても、あの時のわたしたちはかっこよかったと思っている。

でもスタッフも弟氏もそこには居なくて、なんか警備員とかしか居なくて、
振り絞るように『お願い出てきて』って声にならない声で言ってみた。
ダメなの・・・?ってうなだれて、半分諦めの気持ちで顔を上げた目の前に、裕士さんの姿を見つけた。
そのとたん、もうさっきの凛とした気持ちはどこへやら。「ありがどうございまじだぁぁ~・・・」と一人残らずベソベソ泣きじゃくっていた。めちゃくちゃダサい。

でもあの時の弟氏の顔、一生忘れないと思う。真剣な顔で、私たちに向き合ってくれた。と思っている。  
あの裕士さんと向き合えたうちらだってすごいよね。すごいんです。
あの場に居て、このメッセージに関わった皆を誇りに思う。
裕士さんにちゃんと手渡せて、本当に良かった。


良かったけど、終わりもやってくる。見知らぬ警備員から敷地を出るように促されても、なかなか外に出ることが出来なかった。何度も何度も振り返って、一歩進んで、また振り返って。

出たくなかった。
叶うなら、一番最後に出たかった。
それも叶わず、外に出る人たちの列に流されるまま門を出て、MUSEUMに深々と頭を下げた。


そしてMUSEUMの真横にあるうみかぜ公園の、丘になってる場所へみんな集まる。もう敷地の中には入れない。敷地内からマイクで挨拶する裕士さんの声を外から聞いて、hideの曲が大音量で3曲流れた。

花火が上がって、、、、、、

いままで、夜にだって完全に真っ暗になったことなんてないMUSEUMの灯りが、全部、消えた。

電気、消えちゃヤダーーーー・・・って、
ミルクを取り上げられた子供みたいに泣いた。
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これが、hideMUSEUMが終わった日に私が体験した出来事です。

MUSEUMを後にしてからは、現実逃避するために夜中まで飲んで、フテ寝した記憶。みんなメンタル壊れかけてたから、仲間内での一部では喧嘩というか、口論っぽくなってしまったりもしたのが心残り。


むちゃくちゃ主観入ってるとは思うけど、この日にMUSEUMに来ていた人たちそれぞれのなかに、それぞれの愛があったはず。
MUSEUMへの愛、hideへの愛、スタッフへの愛、横須賀への愛。

今や、MUSEUMについて公式に語られることや思い出されることは、本当に無いに等しいくらいだけれど、弟氏やスタッフの皆さんの中には確実に刻まれていることだろう。そうであってほしい。

願わくば、MUSEUMで行われたお祭りやイベントの映像を公開とか販売とかしてほしいなあと思ってしまう。撮影してたのはわかっているんだぞ・・わしは生粋のMUSEUMのストーカーじゃからな・・

忘れられてないんだ。ぜんぜん消化できてないんだ自分の中で。画面に映るあのころの、絶好調に楽しんでいる仲間とわたしとあの空間に、今でも会いたいと願ってしまう。
刺激的で刹那的で、浅はかだった日々。たくさんの後悔。それでも救われてたあの時の自分。全部、ぜんぶひきつれて棺桶に入りたい。なんて思っちゃう年になったのかとしみじみしちゃうね。まだそんな年じゃないが!!!

10年後も同じことを思うかな。
MUSEUMなくなって15年経っても思ってるんだから同じかな。
何年たっても語ってる名物おばさんにでもなるか。


心の荷物を軽く出来る居場所を作ってくれた、HEADWAXの皆さんには本当に感謝してもしきれない。消費者として文句言ったこともあるけれど、最後に残るのは感謝です本当に。


長々と呼んでくださった方、有難うございます。
これからも、記憶のかけらを思い出したら、書いていこうと思います。

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cancoo
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