[実験メモ05]眠りときどき鹿
今年の夏も暑かった…そして、長かった…。
ようやく涼しくなってきたと喜んでいたらすぐに年末が見えてきて「秋はいずこ?」と、涙ぐむ勢いです。
…そうです、わたしは暑さがとても苦手です。
そして湿気も苦手です。
ですから近年の梅雨〜夏は「普通に生きているだけで疲れる」と感じてしまいます。
今年のその時期は自分の感覚をこまめに見つめることを心がけるようになっていたので、疲れ始めの自分ともしょっちゅう向き合っていました。
(こう書いていて気づきましたが、それがストレスになる人もいるかもしれないですね。感覚を見つめることにも合う・合わないがありそうです。)
「あ、疲れてきてる。」
と気づいた時の次の行動は
《予定していた何かをやめる or 控えめにする》
とうのがオーソドックスな選択かなと思います。
ただ、その"何か"が全くorあまり欲してないアクションだったのならこの選択はスムーズなのですが、そうでない場合は我慢や無念さが生じることになります。
できることなら、疲れを感じた時だって「欲すること」をしたいのです。
…ということで、
「あ、疲れてきてる。」
と感じたら、その直後に
《今の自分が何を欲しているか考える》
というプロセスを挟むことにしました。
そこで浮かんだことを、次の行動とするのです。
この試みによって
わたしは疲れたと感じたら鹿肉が食べたくなる
ということに気づきました。
なんだか無性に食べたくなるのです。
ただ、残念ながら鹿肉はそこここで食べられる食材ではありません。
それが非常にもどかしい。。。
しかし!今夏のわたしは引き寄せたのです(笑)
ある日、ランチに何を食べようかと渋谷のビルのレストランフロアをうろうろしていました。
そしてPOP UPスペースの前を通りかかったところ【鹿ソースカツ丼】の張り紙を発見。
「・・え、こんなことある?!」
「しかも鹿カツって初めての出会い!(さらに嬉しい)」
と心の中で叫ぶ&ガッツポーズ!
迷わず入店しました。
[補足:健太郎の京都ジビエというPOP UPキッチンでした。]
柔らかくて濃厚な味わいなのに全く脂っこくない鹿カツを頬張って、「あ〜おいし。月に一度は食べたいな〜(満面の笑み)。」などと思いながら、昨夏も鹿肉を欲していた自分を思い出しました。
函館に行くことになり、出発前にひたすら「函館 ジビエ」や「函館 蝦夷鹿」のキーワードで検索したことを。
そして、北海道もこんなに暑いのね…という気落ちもあって余計にぐったりした自分に、鹿肉がパワーをくれたことを。
思えばこの時も(コースで予約していたため)当日お肉料理のラインナップに鹿肉があるとわかって内心歓喜したのでした。
ただ疲れMAXによりメニュー名をメモしていませんでした。おそらくは蝦夷鹿のグリル。。。
[補足:レストランバスクというお店でした。]
・・・ずいぶん大袈裟な書きぶりだと思われるかもしれません。
でも、あくまで個人の感想ではありますが、鹿肉を食べると栄養補給した実感や回復した実感を得られるのです。
いつも「滋味深いとはまさにこのこと!」と思いながら味わっています。
そして実際のところ、
ということです。
あれ?もしかすると年齢的にも相性が良くなってきたから余計に食べたいと思うようになったのかも…??
となるとこれはもう、本能でしょうか。
ちなみについ先日「鹿肉がもっと手軽に食べられるようになるといいのになぁ…」と思いながら歩いていたら、ある店先に「鹿肉カレー」のポスターを見つけました。
満腹時だったのが無念ですが、わたしの望む未来は案外すぐ近くにあるのかもしれません♡
なお大抵の場合、疲れ始めのわたしは睡眠を欲していたということを最後に書き添えます。
わたしの疲れには睡眠。
それが基本でときどき鹿肉。
以上です。