彼女が見た風景
学生時代の友達の訃報が届いた。
その瞬間、私の脳裏には彼女が見た風景が鮮明に溢れ出てきた。
道端に咲く小さな黄色いタンポポ。
コンクリートの隙間からスッと生えるレンゲ。
フェンスの向こうに広がる埃っぽい運動場。
生徒は誰一人いないのに、そこに人格を持って存在しているような。
新歓の花見の帰りに二人で見た街路樹の夜桜。
散る花びらは、彼女の目を通してキラキラと降ってくる。
同じものを見ているはずなのに、彼女を通すとより鮮やかに、物語を持って心に刺さってくるのは何故なのか。
そして、自分には物事が見えていない恥ずかしさが込み上げるのは何故なのか。
彼女は小さい頃から体が弱かったそうだ。
一度体調を崩すと、数日間動けず布団の中でじっとしているしかない。
全く音沙汰がなかった時、彼女のアパートに押しかけた。
カーテンを閉めているせいなのか、それとも古い木造の日当たりの悪いアパートのせいなのか、沈んだ空気が流れていた。
部屋にはおびただしい数のCDと彼女の好きな画家のシルクスクリーンが所狭しと置かれていた。
彼女から溢れ出てくる知識と感性の源が、そこで静かに出番を待っているようだった。
「散らかっててごめんね〜」
いつもの満ち溢れたオーラに蓋をされたような彼女が、わずかに残っているエネルギーを振り絞って相手をしてくれた。
彼女は自分が思うように動けない時間と折り合いをつけるために、調子の良い時は精力的に動き回っているのだと、その時、私は理解した。
普段彼女が見せる活動的な姿は、ほんの一部。
何も知らずに私はただ彼女の性格が羨ましいと思っていた。
卒業して25年以上経ち、最近では年賀状だけのつながりになってしまっていた。
でも、彼女にはいつでも会えると思っていた。
昔のままの、キラキラした姿で。
数年前からガンと闘い、今年の桜の季節を最後に、彼女はこの世界から去ってしまった。
彼女が見たものを残して。
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