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そして「オーセンティック」という言葉は手垢にまみれた(3)
ここまでのお話:
マーケティング用語としての authenticity 続き
会社でオーセンティック・マーケティングのセミナーを受けたことがありました。フリーランスになってからは、セミナーに使われるコンテンツの翻訳もしました。オーセンティックを目指そうと熱く語るコンテンツほど、オーセンティックの真逆にある「嘘っぽい」「白々しい」印象になっていくのはなぜか?それはマーケティング・コミュニケーションの本質(つまりオーセンティックな姿?)がキレイゴトの専門家だからでしょう。
ある外資系企業で、本社で考えられた英語のキャッチフレーズを翻訳している人が、「Appleのサイトを見てスタイルを真似している」と言っていました。Appleといえばオーセンティック・マーケティングの成功事例として有名ですが、Appleの真似をすることが「オーセンティック」になるはずがありません。ただの模倣です。しかし「オーセンティック」を真似て「オーセンティック」になろうとする動きは、さまざまな場所に広がっていきました。
多様な人種や体型のモデルを起用したり、「サステナブル」「環境に優しい」を謳ったり、社会的なトレンドに乗っかるだけのキレイゴトマーケティングが流行し、オーセンティックという言葉は空疎なものになっていきます。
自己啓発用語としての authenticity
マーケティングで使われる authentic に含まれるニュアンスを日本語で思いつくまま並べると、正直・誠実・真実・純粋・真摯・忠実・実直…類語辞典ですか?って感じですね。「徳」という言葉でまとめることもできそうです。実際、多様性やらサステナブルやらBLMやら、トレンドの社会正義にのっかるマーケティングはVirtue Signaling (徳の誇示)と批判されるようになります。
元来、authenticity という言葉にvirtue / 徳という意味はなかったはずですが、いつのまにか徳の概念まで飲み込んでしまい、人生哲学にも適用されるようになりました。たとえば「オーセンティック・リーダーシップ」という考え方があり、組織を成功させる「人徳のあるリーダー」についての理論として広まっています。
オーセンティック・リーダーシップは、元来のオーセンティシティが意味する「自分らしさ」に、「真心」やら「自律心」やら高尚な概念を加えて「人間としての成長」を目指す自己啓発の理論になっています。これは、ビジネスリーダーだけではなく、一般ピーポーの「本当の自分探し」を起点にした自己啓発にも適用されます。
自己啓発における「オーセンティック」という言葉が「なんか、よくわからない」のは、「ありのままの自分」と「かくありたい自分」がないまぜに語られるからでしょう。
「弱さをさらけ出せる人が本当の強さを備えた人 = オーセンティックな人」というような説法を、ライフコーチと呼ばれる自己啓発の専門家が語るようになり、迷える衆生は「結局、オーセンティックて、弱いこと?強いこと?どっち?」と困惑します。「弱い自分も強い自分もオーセンティックな自分である」と師匠は語り、自己啓発というある意味スピリチュアルな世界で「オーセンティシティ」は禅問答へと変異していくのです。
authenticity (正統性)という言葉の親戚に authority (権威)という言葉があります。たとえば教会において、権威は正統性を主張し、正統性は権威を得る関係にあります。正統でないものは異端として権威に裁かれたりしましたね。
英語圏で「オーセンティシティ」という言葉がもてはやされるのは、精神生活の権威として君臨していた宗教が廃れつつあるせいかもしれません。「より良い(善い)人間になるには」「あらまほしき自分になるには」というスピリチュアルな問いの答えを、教会という権威ではなく自己の内面に求める精神活動が、「オーセンティシティ」の追求につながったのかもしれません。(続く)