ジシ
隣の誰かも苦しんでいる、
そんな簡単な問題じゃないと思う。
みんな一緒だからって、
気休めにもならないし抜本的な解決じゃない。
生き辛さを抱える人々へ、自分だってそう。
何か不満があるわけでも、
人間関係が悪いわけでも、
経済的に苦しくもない。
けれど、なんだか「消えた方がマシ」つい呟いちゃう。
『いや 生きる!』って打ち消す癖づけている、言霊になるから。
この魔力なんだろな?平和ボケ??
”ぜいたくな悩み”なんて聞きたくもない、
そういう言葉でがんじがらめにされているんだぞ。
満たされないんだよな、けど未来に生きる意味はある。
自分はやりたいことやれてないし、まだ生を全うする。
ここで軽はずんだら、それこそ世間と今までの敵に負けた気がする。
そんなの悔しいしな、そう思ってるから泥水すすったって行きる。
泥水だなんて。
こんなことが前提みたいになってるのも嫌だけどな、
苦労して頑張んなきゃダメよって、言葉も違和感でしかない。
間違いなく何かあるんだよ、"苦しさを感じる理由"がさ。
でもわからないし、国の機関が議論したって対策とっても不明だ。
綺麗な水すすって、楽して生きて行きたいし。
みんなみんなそういう風に生きられるべきだと考えてるんだけど。
あくまで突発的な行動ってそれ自体が目的じゃない。
意思の表明か、悪い原因からの逃避なのか、
意味も不明なままそんな行動を選ぶのかもしれない。
立ち止まって見てほしいって月並みだけど伝えたい。
し、こう言って自分に言い聞かせている部分もある。