状況変化の技法(前編)
ある日、老健の介護主任とユニット担当の理学療法士が相談に来た。
2人が言うには、入所者の北川ウタエさん(仮名)は認知症で入所された。そして入所初日から「私は何でここにおるん?家に帰りたいがどうしたら良い?」とスタッフ、入所者構わずみんなに聞いて回るとのこと。それで入所者はともかくスタッフまで嫌がって次第に敬遠しだしたという。
みんなが避けて逃げるもんだから、北川さんはますますみんなを追いかけて、「なんで逃げるんね!なんで私を嫌うの!私を家に帰して!」とますます興奮気味になって皆を追いかけて利用者さんの個室に入り込んだりして大騒ぎをしているという。
施設の相談員は、「きっと寂しいのよ。私が話を聞いてあげたら落ち着くと思う」と忙しい業務の中から、毎日1時間を絞り出して話をするようにしたが、やはり最後は「なんで私はここにいるの?家に帰りたい!」と訴えるばかりで相談員も困って参ってしまった。
集団体操やレクの間も大騒ぎしてみんなも逃げて個室に入って出てこなくなるし、個別リハビリ訓練も「家に帰りたい」と訴えるばかりで実施できないとのこと。
それで「なんとかなりませんか?」という相談だった。
相談員さんも頑張ったのだと思う。「原因を想像すると寂しい、不安に違いないから、話をちゃんと聞いて北川さんに落ち着いてもらおう」という意図はよく分かる。
このアプローチは、「北川さん本人の不安を取り除いて落ち着いてもらおう」ということで、つまり個人の振る舞いを変えようとしている。でも個人の振る舞いを直接変えるというのは、大変な労力と時間が必要になるに違いない。それに見た感じ効果も出そうにない。忙しい業務の中では続くものではない。
「人の行動、振る舞いを変えていく」というのはとても難しいものだ。
それで僕が提案したのは、CAMRのアプローチが得意としている「状況を変える」という方針である。人の振る舞いを変えるのは難しいが、その人の周りの状況を変えるのは意外に簡単である。
具体的には、僕は次のような提案をした。
①関わるスタッフは看護師から介護助手、セラピストまで全員が、名字ではなく名前の「ウタエさん」と話しかけること
②「ウタエさん、おはよう!」とか「ウタエさん、今日は良い天気よ」とかウタエさん、元気?」などと通り過ぎたりする時に必ず笑顔で声かけして通り過ぎること。それ以上はいわなくて良い。離れていても構わない、わざわざ近づかなくても良い。遠くから「ウタエさん!」と言って手を振るだけでも良い
上記の内容を全員に説明してやってもらうことを介護主任にお願いした。
介護主任は「それだけですか?」と落胆したように言ったが、僕は「まあ、まずはそれだけをしっかりできるようにしましょう」と答えた。
介護主任は「まあ、それだけなら全員できると思うけど・・・」といって半信半疑のまま帰っていった。
翌日から申し送りを受けたスタッフ達はきちんとそれを実行した。ウタエさんは最初キョトンとしていたらしい。でもすぐにいつもの「家に帰りたい、ここは嫌じゃ!」と訴えていたが、三日もすると自分から人を追いかけて「家に帰りたい!」と訴えることが目に見えて減ってきたそうだ。
そうすると今度はスタッフ達の態度が変わってきた。「ウタエさん、おはよう!今日は可愛い服着ているね」などと立ち止まって自然に話しかけるようになる。そうするとウタエさんも「ああ、これ?娘が買ってきたんよ」などと会話が生まれてくる。
1週間もすると集団体操やレクに参加してきて、他の利用者さんとも落ち着いて話をされるようになった。もちろんリハビリの個別訓練でもセラピストの指示に従って運動されるようになった。
介護主任が興奮して嬉しそうに結果を話してくれたが、まあ、今回は幸運にも一度の試行で上手くいった例だろう(^^;)難しい場合は良い結果が出るまで様々な状況変化を何度も試みることになる。
CAMRでは「人は自律的な課題達成者であり、自律的な問題解決者である。そして常に状況変化に対応しながら必要な課題を達成し、課題達成に問題が起きるとなんとか問題解決を図りながら課題達成を目指す」と考えている。大雑把に言うと「状況変化が起きると、それに対応して人は振る舞いを自然に変えてくる」と考えている。
運動についてもそうで、「課題達成の運動を取り巻く状況を変化させると、それに合わせて運動のやり方を自然に変えてくる」と考える。そしてそれは、「他人に新たにこちらの思い通りの運動を憶えてもらおう」とするよりは簡単なことである。
そうすると「患者さんが勝手にやり出す運動は正しく無いから、私たちセラピストが正しい運動を教えて憶えてもらうのだ」と言われることもある。
しかしことはそう簡単ではない。
次回はそのことについて説明します(中編に続く)
※毎週火曜日にCAMRのフェースブック・ページに別のエッセイを投稿しています。最新作は「脳性運動障害の理解を見直す(その8 最終回)」以下のURLから。
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