「脳卒中あるある!-CAMRの流儀」の紹介です
この本は、脳卒中の患者さんが質問してくる内容やセラピストが脳卒中患者さんを見たときに「あるある!」と感じる素朴な疑問を中心に展開されます。
たとえば「なぜ麻痺側の手脚は硬くなるの?」、「どうしてまっすぐに座れないの?」、「どうして良い方の脚が出ないの?」、「分回し歩行は治さないといけないの?」といったことです。
これらの疑問に対して、この本ではできるだけ二つの立場から答えます。一つは伝統的に学校で習う「要素還元論の立場」です。もう一つは現在の日本の学校では教えられていない「システム論」の立場です。
このように説明すると多くの人が戸惑います。「二つの異なった立場があるの?」ということに。
当然ですよね。学校で一つの立場の考え方、見方だけを教えられていると、それが真実であると信じてしまうものです。「それが真実!それが正解だから、それ以外の考え方は間違い」と簡単に信じてしまいます。まあ、他に選択肢がありませんし、権威あるはずの学校でそう教えられれば、そう信じてしまうのが自然です。
それに実際に今の状況では、学校の考え方を正解として学ばないと国家試験には受からないというのが現実です。それがこの世の中の仕組みですから。教育は権威ある立場の人々の考え方を正解として人々に伝えるものだからです。その仕組みの中では、権威ある人々の考え方が正しいものとされ、尊重されるべきものです。
そしてそのもう一つの未知の考え方を嫌悪します。だってこれまで自分が真実だと信じ、言葉にし、同僚や後輩に誇りを持って話してきた考え方が「間違っているかもしれない」と、その未知の考え方が脅(おびや)かしてくるからです。これまた無理のない恐れであり、嫌悪です。
しかし、世の中には様々な考え方があり、対立する考え方も存在するものです。
中世ヨーロッパでは、キリスト教会を中心として「天動説」が真実とされました。それは神の真理であり、それに異を唱えるものは異教徒とされ、捕らえられ、考え方を矯正され、あるいは焼き殺されました。キリスト教会の考え方を真実として、それに異を唱えるものは「協会の権威を失墜させる恐れ」があるために弾圧されたのです。教会の権威を守るために恐怖が使われたわけです。
それでも次から次に天動説に異を唱える人達が現れました。実際に自分たちで観察する天体の動きは、天動説の説明では矛盾が出るからです。人の知性は「説明の矛盾」を放っとけないようです。ガリレオ・ガリレイも「それでも地球は回っている!」と言ったとか、言わないとか・・・・
そして最後には天動説が誤りで、地動説が正しいということになったわけです。
少し大げさな展開になってしまいましたが(^^;)、実際に臨床に出て、いろいろな脳卒中の患者さんを見ていると、「本当に学校で習ったことは正しいのだろうか?」と思うことに出会います。「もっと他に矛盾のない説明があるのではないか?」と思ってしまいます。
つまりその一つがシステム論の考え方です。
むしろ考え方が一つだけというのは恐ろしいものです。「それが真実であり、それさえ理解しておけば良い」となればそこで進歩は止まってしまいます。リハビリも科学を基礎として絶え間なく議論がなされ、進歩を続けるもののはずです。ところが日本ではこの分野は一日千秋の如く変化がないのです。
つまりこの従来の知識体系には強力なライバルが必要です。「どちらが臨床では有効か?あるいはこの場合はどちらが有用か?」という議論は、お互いを高めあうものです。そういった意味でもここでは二つのアイデアを少しだけ競わせるような流れができれば良いと思っています。読者がこれから考えていくきっかけになれば幸いです。
とは言っても、僕は「システム論の考え方が真実である」とも考えていません。そんなことは一臨床家にとっては扱いがたいものです。僕達、臨床家にとっては、一つの理論が真実かどうかよりは、目の前の患者さんが少しでも良い状態になるのに役立つかどうかが大事です。
そこで僕は次のように考えることにしています。
「理論は、問題を説明し、問題を解決するための道具である」
道具であれば、真実かどうかは関係なくなります。「スプーンは真実である」などと主張するのはナンセンスです。むしろ道具なら状況によって使い分ける方が自然です。「スプーンはすくって食べるのには便利である」ですよね。大きなお肉を食べるにはフォークとナイフは便利です。カットしてあるお肉ならフォークでも箸でもいけます。うどんはお箸かフォークが便利です。道具というのは課題と状況によって使い分けられるものです。
つまり理論も「問題を説明し、それによって問題解決の方法を生み出す道具」として考えるのです。「この問題をより良く説明し、解決するにはどちらの理論を使えば良いか?」と考えれば良いのです。「理論が真実かどうか?」にこだわらなければ気楽なものです。そんな面倒な議論は学者さんにでも任せておけば良いのです。
ヴィトゲンシュタインという哲学者は、天動説か地動説かはどの立場に立って物事を観察するかの違いであると言ったそうです。つまり「地球上に立って空を見上げれば天動説は正しい、太陽の上に立って空を見あげたと仮定すれば地動説は正しい」という訳です。実際、天動説の知識は大航海時代以前から自分の位置を知るためには非常に重要な道具だったわけです。
さて、CAMR(Contextual Approach for Medical Rehabilitationの短縮形。和名は医療的リハビリテーションのための状況的アプローチ。CAMRは「カムル」と読みます)は、日本生まれのシステム論を基にしたアプローチです。
CAMRでは、理論は道具として扱うので、学校で習う「要素還元論」の見方も「システム論」の見方も共に、「説明と問題解決の道具」として扱います。それによって、CAMRでは問題解決のための二つの道具、つまり二つの選択肢を持つことになります。このことは僕達の問題解決者としての可能性をより大きくしてくれます。解決の選択肢を二つ持つことになるのです。一つのやり方がダメでも、もう一つの方法を試すことができるからです。
(本書の「はじめに」より抜粋)
脳卒中あるある!-CAMRの流儀-(西尾幸敏著・田上幸生編 Kindle出版)
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