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CAMRの流儀 その1

 従来学校で教えられる人の運動システムは身体の構造と各部位の働きから理解されます。

 たとえば「脳で命令し、神経がその命令を伝えて、筋肉を収縮させ、関節が動く」と理解します。もし腕が動かなくなったら、筋肉か関節か、神経か、脳のどれかが悪いのではないかと考え、悪い部分を探し、それを治す訳です。

 この「構造と各部位の働き」から理解するやり方は機械の理解の仕方と同じです。まあ、基本的に人の体を機械のように理解します。もし機械に問題が起きれば、どこの部分が悪いのか探して、その悪い部分を直したり、交換したりするわけです。

 また機械には正しい運動があります。つまり設計者が意図したとおりの運動が正しいわけです。それに機械は故障したら「元通りに直す」という以外に修理の選択肢はありません。だから機械修理の唯一の方針は、「元通りに直して、正しい運動をするようにすること」の一択となります。

 人を機械とみなすことは、整形疾患の一部では非常に有効な問題解決方法であることに間違いはないのです。人体の構造をよく理解し、問題が出た場合は原因となる部位を探し、治して元通りの健康な体を目指します。

 でも脊髄損傷は今のところ手術では治せませんし、もちろんリハビリでも治せません。脳性運動障害でも脳は治せません。そうなると「治す」一択のアプローチではどうにもならなくなります。

 もっとも最近ではIPS細胞という新しい可能性が出てきました。これはどんな細胞,たとえば脳細胞にも分化する可能性があるそうです。そうなると「壊れた脳細胞を新たに作った脳細胞と交換する」ことで「元に戻す」みたいなことも行われるのでしょうか?こうなると機械の修理と全く同じですね。でもまあ、これはまだ何とも言えない未来の話ですよね、きっと(^^;)

 ともかく現時点では脊髄損傷や脳性運動障害や他の治らない疾患や障害では、「治す」以外のリハビリの選択肢が必要です。

 また最近はコンピュータという機械が作られました。これは今のところ人がプログラムを入れることで機能を発揮できます。

 これまた人を機械のようにみなしていると、「脳もコンピュータのようなものだ」と考えて、「運動感覚を入力する」みたいなリハビリ・アプローチが生まれてきました。「正しい姿勢・運動の感覚を脳に入力してあげれば、脳がその動きを学習して健常者の様に正しく振る舞うようになる」と考えるわけです。

 元々人が生み出したに過ぎない機械をモデルに自分の脳を理解しようということですからヘンテコなことです。

 それにそのために「正しい姿勢や運動」をセラピストの手を使って動かします。そんな他人に動かされた運動が自分自身の運動になるものでしょうか?

 心理学でも、「人は課題達成に向けて能動的に動いて自ら動きを生み出し、修正する」ことが知られています。他人に動かされただけで運動を学ぶなんてことはないわけです。

 こうして人を機械とみなすと、極端な場合このアプローチは以下のような傾向を持つようになります。

①問題解決は「悪いところを見つけて治す」の一択

②「(機械に正しい運動があるように)人には正しい運動がある」のでそれを目指す

③セラピストは「正しい運動を他動的に患者さんにとらせてでも教えてあげる」のが自分の責任と思う。それで患者さんの振る舞いや状態をセラピストが管理したがる

 もちろんそうは言っても、実際にはセラピストの個性によって随分柔軟性や多様性のあるアプローチにはなるのですが。

 一方CAMRでは、人の運動システムを構造や器官の働きではなく、運動システムの作動の特徴から理解していきます。そうするとアプローチは以下のような傾向を持つようになります。

①治る傷病であれば「悪いところを見つけて治す」が選択されるが、難しいときは潜在能力を最大限活かして生活課題達成力の改善を図るアプローチを目指す

②どんな運動が生まれるかはその人の身体とその置かれて状況次第。生まれる運動は各人で異なって当たり前。「健常者の運動」という特定の価値観を持ち込んで比較することはむしろ迷惑な話

③セラピストは「患者さんと協力して何が価値のある生活課題かを話し合い、十分な運動リソースの豊富化を図り、適切な運動課題と実施条件を設定して患者さん自身に問題解決や課題設定の方法を発見、修正してもらう」ように「手伝う」ことが自分の仕事と思う

 次回はCAMRの方針と方法についてもう少し詳しく説明します。(その2に続く)

※毎週火曜日にCAMRのフェースブック・ページにオリジナル・エッセイを投稿しています。最新のものは「CAMRが他のアプローチともっとも違うところは?」
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