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CAMRの流儀 その7

 さて、人の運動システムの三つ目の作動の特徴は、「自律的問題解決」だ。
 人の運動システムはその人にとって必要な運動課題を意識的に、あるいは自律的に達成しようとする性質を持っている。常に必要な課題達成が運動システムの基本的な目的である。
 しかし、もし課題達成に問題が起こると自律的に問題を解決して課題達成しようとする作動が起こる。たとえば腓骨神経麻痺が起こると下垂足になって、つま先が床に引っかかって転倒や転倒しそうになる。これでは安全に歩けないので問題だ。そこで膝を高く挙げて、つま先が床に引っかからないようにする。また下垂足で安定して接地するように足底全体を床にたたきつけるように接地するようになる。つまり「鶏歩」という歩行スキルを生み出して歩行を維持し続ける訳だ。
 片麻痺では麻痺側の下肢が振り出せなくなる。そうすると健側の下肢に重心移動して患側の下肢を浮かせ、体幹を側屈・回旋などして患側下肢を振り出す「分回し」という歩行スキルを生み出して歩行を達成する。
 これは機械には見られない、人や動物に特有の優れた運動課題達成を維持する能力である。
 つまり機械ではある部品が壊れたとき、他の部品がその部品の持っている働きを代償して何とか課題達成するだろうか?もちろんできない。機械の部品は一つ一つ決まった役割以外の働きはできないからである。
 逆に人では一つ一つの要素や器官などのサブシステムに多様な役割がこなせる可能性があるし、一つの働きのために複数種類の異なった要素やメカニズムなどが準備されているからだ。手が動かなくなると、脚や口で字を書いたりできる。視覚が失われると聴覚と触覚などで環境を探ったりできる。

 西洋文明の根底には、「人や動物は神(又は自然)が作った機械である」という機械論という思想が影響しているらしい。だから西洋医学やリハビリテーションも人を機械と理解しているように見える。臓器移植は「壊れた部品の交換」という機械修理の発想だし、IPS細胞は様々な臓器の細胞を作り出せるので、どんな臓器でも交換可能な部品として作ってしまえるわけだ。
 もちろん人を機械と捉えて、構造と各部の働きをよく理解することは非常に有効な手段であるのは間違いない。だからそのやり方の長所と短所を理解して行くことが大事である。
 リハビリでも、人の体を機械として構造や各部の働きを考えることで徒手的療法やストレッチなどの手技を発達させることができる。
 一方で脳をコンビュータに喩えて理解して、キーボードでプログラムを入力するように、「セラピストが他動的に患者の体を動かして、その運動感覚を脳に運動プログラムとして入力するのだ」と考えるアプローチもあるがいかがなものか?人は全く機械とは異なったシステムと作動原理でも動いているわけで、特に脳性運動障害では人を機械として考えるのはどうも不適切である。
 人の運動システムは物理的なシステムとして理解することも生物学的な作動のシステムとして理解することも可能で、両方の視点のバランスをとることもリハビリでは必要なのだろう。
 それで人の運動システムの作動の特徴である「状況性」、「課題特定性」、「自律的問題解決」などの視点からも人の運動システムを理解できるようになることが重要だと思う。これらはロボットとの違いを決定的に明確にしてくれるからだ。
 今回はやや、話が本筋から逸れてしまった(^^;)次回からは自律的問題解決の特徴を詳しく説明して行くつもりである。(その8に続く)
※毎週火曜日にCAMRのフェースブック・ページに別のエッセイを投稿しています。最新作は「脳性運動障害の理解を見直す(その6)」以下のURLから。
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