■春季西表島活動「7日目」
とうとう石垣島へ帰る日がやってきました。この数日間、キャンプ場では焚き火ばかりしていましたが、そんな日々も今日でおしまい。お腹も空いてるし、布団でゆっくり眠りたい気持ちもありますが、やっぱり帰るのは寂しかったです。
キャンプ場のおじさんとも、島についてや、ここに来るお客さんの、そして将来のことなど、色んな話ができました。西表島という辺境の地で生きてきたおじさんの話は、どれも非日常的で聞いてて面白かったです。得に印象に残っているのが、イリオモテヤマネコより大きい「ヤマピカリャー(イリオモテオオヤマネコ)」の存在について。まだ正確にはわかっていませんが、地元の方による目撃情報はあるそうです。
探検部員として、その謎を突き止めたい気持ちにはなりますねw
そうそう、我が大学探検部のOBに、怪獣を探しにアフリカのコンゴまで足を運んだ方がおります。そう、高野秀行さんの著書「幻獣ムベンベを追え」でも有名な、コンゴ・ドラゴン(モケーレ・ムベンベ)のことです。
世間では早稲田大学探検部が先というイメージですが、実は我が大学が計画し、それを引き継ぐ形で早稲田隊が組織されました。
駒澤大学探検部
以後、覚えていただけるとありがたいです。いつか、このムベンベ計画の裏話でもできたらなと考えております。
11:00頃、身支度を済ませた我々は、おじさんと別れの挨拶をし、レンタカーに乗ってキャンプ場を後にしました。そして、12:00の便に乗って石垣島へと帰還。さよなら西表島、また来るぞ!!
フェリーに乗ると、疲れからかすぐに爆睡してしまいました。ふと目が覚めると、もう石垣島に到着。西表島に1週間近くいたからだろうか、石垣島が大都会に見えたのを覚えています。ここなら一生暮らしていける、って思いました。正直小豆島よりもいいかも??いや、そこは難しいですねw
西表島ってなんだったんだろう。コンビニはないし、店やってないし、人いないし。でもやっぱり帰ってくると、あの何もない感じが恋しくなる。それくらい魅力的な島だったのでしょう。
石垣島に着いたらまず昼飯。久々に食う生姜焼き定食は、オリジン弁当のそれよりも何百倍も美味く感じました。他の人は揚げ物を食べていましたが、それまた美味そう。「ぷろたん」という筋肉系YouTuberも言っていたがように、油モノは美味しいですね。
そして1人1,000円の格安ホテル「金城」へチェックイン。この破格の安さで風呂と洗濯機(ランドリー)付き、さらには綺麗なのだから文句なしです。
荷物をおいたらすぐ風呂へ。生乾きのまま燻された匂いはマジで臭く、まるでドロヘドロ!そのため、一回シャワーを浴びただけではその匂いは落ちませんでした。
夜は宴会。ホテルから少し歩いたところにある「琉球の爺」という居酒屋で酒をしこたま、とは言わないが飲んだ。酒以外でも、ラフテーやちゃんぷる、そして石垣牛の牛すじ丼など、美味しい料理もいただきました。満足ご満悦。
次にOBの知り合いがやってるバー?にも立ち寄りました。黒糖なんたらかんたらという甘い酒を飲みました。めっちゃ美味しかったです。後輩はチョコの香りがする酒も飲んでたなぁ。そんなに飲んでないのに疲れからか、なんの話をしたかなど、いまいち覚えておりませんw
バーを後にしホテルへ帰還。お腹が空いたので、現役三人はコンビ二で締めの飯を購入。食った後、私はベッドとベッドの間のスペースで寝ころび歯を磨いていたら、歯ブラシを咥えたまま、知らぬまに寝ていました。
翌日、10:00くらいの便で東京へ帰還。ちなみに、OBはこの後さらに「鳩間島」で1週間滞在する予定だったので、彼とはホテルでお別れしました。
最後にした握手には、30年前、駒大探検部を背負い、数々の活動を成し遂げてきた男の魂を感じました。
ここだけの話、正直OBがいなければ、この活動を実行することはできなかったと思います。歳も60近いのに、我々以上に重たい荷物を持ち、一緒に活動していたのは本当にすごいことです。私が60歳になった時、果たして同じようなことができるのでしょうか。
本当は東京に着いたらラーメンでも食べるつもりでしたが、荷物が邪魔に加えて臭かったので、一同まっすぐ電車に乗って家に帰りました。
(どこ触ってんねん…)
1週間みんな本当にお疲れ様。また次回会う時、この時の思い出を語り合おうじゃないか。
▼次回予告
西表島で活動したい、そう思ったきっかけには私が所属していた関東学生探検連盟と、駒大探検部の過去の報告書がありました。そんな本プロジェクト作成秘話(誰も興味ないw)でもお届けできたらなと思います。