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『劇映画 孤独のグルメ』と、井之頭は孤独じゃなかった
孤独じゃないグルメ
『孤独のグルメ』の映画版である。松重豊が監督・脚本を手がけて完成させた話題作で、映画館はびっくりするほどに人が押し寄せていた。劇場内に漂うあたたかい雰囲気。みなさん、テレビドラマ版のファンなのだろう。これほど多くの人に愛されているシリーズなのだな、と感心してしまった。映画そのものも、観客を楽しませ、テレビ版からつづく『孤独のグルメ』の楽しさをうまく引き継いでいたのではないかと思う。パリから長崎、そして韓国、東京とさまざまな土地を巡りながら、物語は快調に進んでいく。満員の劇場で映画を楽しめたのも、いい体験であった。
ストーリーについては、「孤独」と言いつつ、いろいろな人びととコミュニケーションを取っているではないか、という点がまず印象に残った。テレビドラマは「ひとりで食事する」という点に醍醐味がある。主人公の井之頭(松重豊)は、ただひとりで飲食店に入り、好きなものを注文して食べていればよかった。そこには基本的に「店員に料理を注文する」以上のコミュニケーションは存在しない。一方で、友人や恋人と食事をするのは手間がかかる。まずは相手に連絡をして誘わなくてはいけないし、日時を調整したり、どんな店にするのかを考えたり、どちらが勘定を払うだとか、2軒目はどうするとか、まあいろいろと手配すべきことが出てくる。社交の諸手続きが生じるのだ。そういった社交の煩雑さをすっ飛ばすところに『孤独のグルメ』のよさがある。観客もまた、孤独になりたがっているのだ。
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社交する食事へ
つまりテレビドラマは「アンチ社交」が魅力なのである。ほとんど人と関わらない食事。しかし、さすがに映画となると、井之頭も人とコミュニケーションを取りたいということなのだろう。劇中で井之頭は、フランスに住む男性(塩見三省)から「いっちゃん汁」なるスープをもう一度食べたいと要望される。その依頼を受ける井之頭。断り切れず、という体ではあるが、井之頭は他者とのコミュニケーションに飢えていたのではないかとも推察できる。くだんの「いっちゃん汁」はどうやら長崎の郷土料理らしい。レシピや食材の情報はほとんどなく、井之頭は男性から与えられた、限定された情報をもとに「いっちゃん汁」の再現を目指して長崎へ向かう。ここで井之頭は、さまざまな人とコミュニケーションを取らなくてはならない。
テレビドラマ版で失われていた「人との交流」を取り戻すかのような、濃く深いコミュニケーション。そこが映画版のおもしろさであり、劇場に人を呼ぶ原動力になっているように感じた。なぜいきなり韓国へ行ってしまうのか、どうしてオダギリジョーはスープ作りに協力してくれるのか、いろいろとわからないことはあるが、それでも「映画ってそういうものだから」と強引に物語が進んでいくおかしさがあり、観客を納得させる。食事シーンでは、やはりパリ到着後にオニオンスープとビーフシチューが出てくるくだりが印象的だった。
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