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「スーは平気やろうか」
ミャンマーのクーデターを新聞記事で知って、なるほどと思ったのは、軍部が蜂起する根拠が不正選挙の追及だった点である。
ミャンマー軍がクーデター 「選挙で不正」主張 スーチー氏ら拘束
国軍は昨年11月の総選挙で不正があったと主張し、NLD政権との対立を深めていた。(…)海外の選挙監視団体は選挙はおおむね公正であったと評価しており、選管も国軍の申し立てを退けた。(朝日新聞2月2日1面)
クーデターの口実に不正選挙が使われているのが興味ぶかい。タイムリーだなと思ったし、いま、不正選挙という旬の合言葉でミャンマーの軍部が蜂起するのは、いかにもありそうだという気がしたのだ。とはいえ、わが国も他人事ではない。ここ日本でも、特定の国内選挙機材メーカーの集計機器に不正があるとの無根拠なデマが長らく流布しており、あるいは次の国政選挙では、さらに本格的な不正選挙の陰謀論が大々的に出回ってしまうのではないかと心配している。
嘆かわしいが、現実の底はすでに抜けてしまっているのだし、おかしな考えに取りつかれた人びとを止めるのはむずかしい。注意したから止めてくれるような人たちでもないだろうしね。それと、同日の朝日新聞24面「在日ミャンマー人ら抗議」の記事に、「スーチー氏が英国で暮らしていた時に知り合い、交流を続ける元同志社大非常勤講師」が寄せていたコメント「スーは平気やろうか」がとてもいいと思ったこともつけくわえたい。日本でスー呼びが許される間柄の人はなかなかいない。
あっ、「スーは平気やろうか」のズッ友感に胸がキュンとして、つい話題がそれてしまった。本題に戻すと、いまのように社会が不安定で、多くの人が心配を抱えているような状況で不確定な情報やデマを流布させるのは、やはり根本的にルール違反だし、社会全体にとって弊害が多い。これは倫理的に間違った行為で、行うべきではないことだ。陰謀論者をおもしろがってみたり、好きにさせておけと放置することにはマイナス面しかないというのが私の結論である。これまで個人的には、陰謀論にハマった人たちにどこか同情的な面もあったが、まずは端的に「ルール違反ですよ」と伝える、それが大事なのではという気がしている。
愚にもつかない空想や、検討するに値しないような主張に調子をあわせて「あなたの言い分もわかります」などというべきではない。単にばかげた考え方だというだけではなく、社会全体をより不安定にする非倫理的な行為なのだから、私はあなたの主張を相手にしません、とはっきり伝えなくてはならない。「議論を尽くすべき」などもってのほかで、そんな議論はしないという明確な姿勢がほしい。議論の場を共有することじたいが、彼らに正当性を付与してしまうためだ。陰謀論に対しては、ごく普通の事実、当たり前の内容を指摘しつづけるのが必要だと思っている。むろん、自分が陰謀論に陥らないよう注意する心構えも忘れずに持たなければならない。しかし、何だかとんでもない時代になってしまったものですね。