『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』と、真実を伝える方法
陰謀論はなぜか陳腐化しない
「アポロ11号の月面着陸映像はフェイクではないか?」というのは、69年のプロジェクト成功以降、何十年にも渡って飽きもせずに擦られ続けてきた陰謀論の定番ネタです。やれ月面で星条旗がはためているのはおかしいだの、キューブリックに撮影を依頼しただのと、想像力の豊かな方々があれこれと珍妙な説を打ち立てているわけですが、本作はこうした陰謀論を映画のモチーフとして反映させています。同時に、ポスト・トゥルースや陰謀論が社会的な問題となった現代を暗喩しているとも感じました。有能な広報として名を知られるケリー(スカーレット・ヨハンソン)は、モー(ウディ・ハレルソン)と呼ばれる怪しげな政府関係者から声をかけられ、NASAの広報として働き始めます。ソ連との宇宙開発競争に勝ってアメリカの権威を高めるため、モーは月面着陸の偽映像を撮影するようケリーに指示するのでした(もちろんこの話はフィクションです)。
陰謀論がやっかいなのは、どれだけ「その事実はない」と否定しても、「そうして必死に否定するのが逆に怪しい」と話が逆戻りしてしまい、むしろ陰謀論者の疑いを深めてしまうだけで、事実を知らせる手立てがなくなってしまうことだと思います。もはや冗談だとしても何の新鮮味もない「エリア51」のようなネタであっても、いまだに墜落したUFOが運び込まれている場所だと信じている人はたくさんいます。陰謀論に限らず、デマや流言についても同じことが言えます。その内容が間違っていることは何度も説明されているのに、同じデマを繰り返し持ち出して騒ぐ人があらわれるので、結局多くの人が誤った情報を信じてしまい、彼らのなかで誤情報が真実として定着していくのです。陰謀論では、同じネタがどれほど使い古されても陳腐化せず、むしろ繰り返されるほどに信憑性を増していく性質があります。メンドくさいですね。
なにを「真実らしい」と感じるのか
本作は、アポロ11号の打ち上げのため、NASAの予算を倍増するよう議員に働きかけをしたり、容姿のすぐれた役者をNASA職員であると偽ってインタビュー映像を撮ったりと、広報であるケリーの活躍で物語が進んでいきます。彼女の口八丁手八丁な仕事ぶりと謎めいた過去が、どこかポスト・トゥルース的な怪しさを感じさせるのもユニークなところ。NASAで働くコール(チャニング・テイタム)は彼女に反発しますが、やがて惹かれていくラブコメの展開になっていきます。全体的にコメディタッチの場面が多く、私の好きな米コメディアン、レイ・ロマーノが大事な役どころで出演していたりと、全体的に軽い雰囲気だったのも気に入りました。最終的には、撮影したフェイク映像を流すか、本物の着陸映像を流すかの攻防になっていくのですが、このくだりは実にユニークだったと思います。
スタジオで役者を使って撮った着陸映像は思いのほかリアルに見えますが、実際の月面着陸を撮った映像は、どこか説得力に欠け、うそっぽく感じられる。両者を比較して、どちらが本物なのか誰にもよくわからない、という展開になります。このアイデアには唸りました。真実を見きわめるのは、それほどに難しい。私たちが普段見ているSNSには、さまざまな写真や動画が出回りますが、なかにはずいぶん妙な内容や、どのように撮られたのかわからない記録などが無数に流れてきます。これらとどう接すればいいのでしょうか。私は、混乱しないようにSNSを見すぎない心がけをしていますが、社会的事件や選挙のたびに怪しげな情報やデマが飛び交う空間に辟易している部分もあります。そうした社会の歪みを、60年代に移しかえつつ描いた『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』を見ながら、非常に現代的なテーマであると感じたのでした、
【私の書いた本です。フェイクニュースは入っていません】