『ACIDE/アシッド』と、なんか揉めちゃうお父さん
予告編にあった「酸性雨で人が溶けてしまう」というモチーフが気になって、見に行きました。どこの国の映画かもよくわかっていませんでしたが、フランス映画でした。たしかに、なぜアシッドの綴りが「ACIDE」なのか、よくわからなかったんですよね。雨雲が悪意を持って追いかけてくるようなイメージに興味を持った人が多かったらしく、劇場はほぼ満員。映画は、身体に触れると死んでしまう酸性雨に追いかけられるといったホラー的なエンタメ方向に振ってはおらず、人間関係や社会問題を描くドラマとして構成されており、いかにもフランス映画らしい展開が印象的でした。
本作の主人公は、ミシャル(ギヨーム・カネ)という中年男性。彼は労働運動で抗議中に、警官隊のひとりに暴力をふるい、保護観察中の身でした。酸性雨で被害が出ているというテレビニュースで大騒ぎになったフランスで、寄宿舎にいる娘のセルマ(ペイシェンス・ミュンヘンバッハ)を救うべく向かったミシャルと、彼の元妻エリーズ(レティシア・ドッシュ)は、どうにかセルマと合流することができました。しかし車は強い酸で故障して走らなくなり、ついに徒歩での移動を余儀なくされるのでした。
酸性雨で逃げまどう人びとが隣国(ベルギー)へ殺到する様子は、難民問題を連想させますし、所得格差や地球温暖化といったイシューを扱ってもいます。こうした工夫により、映画に広がりや多様な解釈の余地が生まれるのですが、なにより「自然が敵意を剥き出しにして襲ってくる」というモチーフそのものの恐怖がきわだっているのです。雨が身体に付着したら死ぬ、という条件は厳しすぎます。たとえ傘をさしても、酸で傘が溶けるわけですから、対処のしようがない。当然飲み水の確保もできなくなりますし、家ですら酸で屋根が溶かされれば、崩落して住めなくなります。この過酷な世界で生きていける確率はほとんどゼロに近い。劇中で描かれる、こうした荒ぶる自然現象は、人間に対する罰のようにも感じられます。
本作で興味ぶかいのは主人公の父親ですが、娘の命を守ろうとするあまりにデリカシーが欠如していくのが特徴です。わけても、水道水に酸が混じっていないかを確認するために、野良猫に水を飲ませて様子を見るといった描写には、なかなかの人でなし感が漂います。この父親、労働運動でもそうなのですが、ひとつの目的を達するために必死になりすぎて、ずいぶんいろんな場所にぶつかって周囲と揉めやすい傾向があるのです。中年男性って、なにかと揉めるんですよね。こうした父親と心理的な距離感が生じる娘ですが、かかる要素もまたエンディングのとある展開につながっていくのが脚本の工夫ではないかと感じました。また、ロングショットで遠くに巨大な雨雲が待ち構えている、といった画には、いかにも映画らしい雰囲気を感じました。ショットの鋭さが光る作品でもあったと思います。
【地球温暖化を懸念する私が書いた美容本です】
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