『Cloud クラウド』と、答え合わせのできない映画
転売屋から読み解く日本社会(?)
なにしろ変わった映画である。思いもよらない展開の連続で先が読めない。この作品が現代日本の空気をとらえているのはよくわかるし、劇中の登場人物やできごとが何らかの暗喩となっていることも予想できる。しかし、具体的に何のメタファーなのか、どういったテーマなのかと考えると、理解し切れない部分が残るのだ。映画を見ると、つい「答え合わせ」をしたくなる私のような人間を、そうかんたんに解釈させないぞと突き放すような部分が、『Cloud クラウド』にはある。そこがおもしろくて、最後まで見入ってしまった。監督は黒沢清。
主人公の吉井(菅田将暉)は、工場で働きながら転売の副業をして稼ぐ青年だ。倒産しそうな中小企業から安く買い取った健康器具を高値で転売し、思わぬ高収入を得た彼は、工場の仕事に倦んでいたこともあり、退職して転売の仕事を本格化させる。恋人の秋子(古川琴音)と共に新しい土地へ転居し、心機一転、転売に精を出す吉井。彼は、出荷を手伝う若者、佐野(奥平大兼)を雇って事業の拡大を目指すが、なかなか思うように利益は上がらない。やがて吉井の身辺では、自宅へ投石される嫌がらせ、警察から違法コピー品販売の嫌疑をかけられるなどのトラブルが起こり出し、難しい状況に置かれる。さらには、ネット上で吉井から粗悪品をつかまされた被害者、彼に恨みを持つ者どうしが連絡を取り合い、吉井を追い詰めようとしていた。
登場人物の行動理由がわからない
転売屋をテーマに映画を作るという出発点から、ここまで想像力が広がるものかと驚いた。たしかに、世の中の転売屋はどのような暮らしをし、何を考えているのかは興味を誘うモチーフだが、その題材がこうした奇怪なストーリーに変化していくのが不思議でならない。たしかに、吉井が感じている「どこかでうまい具合に得してる奴がいる」「もっと要領よく立ち回ればラクできる」といった苛立ちはいかにも現代的だと思うが、だからといって、しがない転売屋の顛末が、後半のような謎めいた展開に結びつくか? と考えると、あきらかに違う。登場人物が何をしたいのか、何を理由に行動しているのかが判別つかないのだ。劇中にはただ苛立ちや不快感、感じの悪さ、コミュニケーションの下手な人物の悪意のみが横溢していて、その結果として物語における悪意の総量が増えていくという、ほとんど悪夢のようなあらすじになっている。ネット時代になり、「要領よく立ち回っている、どこかの誰か」が可視化される苛立ちもまた、作品に描かれるモチーフだ。
映画全体をおおう理解不能さ、意味不明さを象徴するのが、佐野というキャラクターである。現実離れしていて、言動がほとんど陰謀論の域にまで達している人物。彼は何者なのか。陰鬱なあらすじにあって、佐野の存在は爽快ですらある。個人的に佐野は、人間にすら見えず、吉井の内面にある危険な感情を擬人化したような存在であるような気がした。ラストで佐野は、吉井に人間らしさを放棄して欲望のままに生き、勝利することを求める。吉井は勝利者であり続けなくてはならない。吉井はその要求に抗い切れず、その先にあるのが地獄であることを理解しながらも、後戻りできずに進んでいくのだ。こうしたラストシーンは、どこか『クリーピー 偽りの隣人』(2016)を連想させるまがまがしさであった。なにより、あらすじが理屈だけでは割り切れないこと、答え合わせを拒否するような展開であることに胸を打たれた。
【私の本、読んでみてね〜〜】