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『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』と、絶対に負けない方法

こうしてトランプは誕生した

物語は70年代のニューヨークから始まる。マンハッタンは荒廃し、犯罪がはびこっていたが、そんな土地に豪華ホテルを建ててやると意気込んでいた若きドナルド・トランプ(セバスチャン・スタン)。彼が出会った悪名高い弁護士ロイ・コーン(ジェレミー・ストロング)から、アメリカ社会で成り上がっていく方法を伝授されるが……というあらすじである。劇中、どの場面にも妙なリアリティがあって目が離せなかった。トランプという人は生まれつき下品なのではないか、人としての品性を母親の胎内に置いてきたのではないかと思っていたが、そうではないのかもしれないと本作を見て思った。また、現在のアメリカに通じる社会の空気をつかんでいると同時に、真実とはいくらでも捏造可能であるといったテーマもよかった。

トランプとロイ・コーンという弁護士には、どこか響き合うものがあったのだろう。ふたりのあいだに、通常の信頼ともまた異なる、「コイツとなら、とことんデタラメな乱暴狼藉ができそうだ」という期待が生じていたような気がする。両者には勝利への渇望があり、ただ競争に勝ちたいという欲求だけがある。最終的なビジョンや、勝利の先に大目標があるわけではない。彼らはただ「勝つために勝ちたい」のであって、その欲望はトートロジー化していると感じた。トランプに「3つの掟」を伝授したロイは、来るべきポスト・トゥルースの時代を予見していたのかもしれない。ロイが伝授したのは以下の3点である。

  1. つねに攻撃あるのみ

  2. みずからの非を絶対に認めるな

  3. 勝利を主張しつづけよ

そっくりすぎる!

もう負けることはない

選挙に負けても「票が不正に操作された」と勝利を主張しつづけ、しまいには米議会襲撃のような途方もない事件を煽動してしまったトランプ。米国史に大きな汚点を残す事件を主導しても非を認めず、誰彼かまわずに攻撃をつづけた結果、本当に大統領へと返り咲いてしまったのだから、ロイの掟はまったくもって正しかったと結論するほかない。本当に、とんでもない手法を編み出してしまったものだ。考えてみれば、兵庫県知事選の結果などを見ても「勝者とは、みずからの非を認めずに相手へ攻撃を繰りかえし、自分が勝ったと主張しつづけた者である」というロイの掟はあきらかに有効で、現実はこれほど容易に破壊できてしまうのかと、呆然とした気持ちにさせられる。実際に何か起こったかなど、どうでもよい世の中になってしまった。

同時にこのロイという男性がユニークなのは、強烈な自己否定の感覚を抱いている点ではないか。彼はゲイだが、他の政治家や公務員の同性愛を恐喝の材料にしたり、同性愛者を差別するような発言をしている。むろん、自分が同性愛者であることなど絶対に認めない。そこがとても興味ぶかかった。どれほどに成功しても、ロイの根幹にはゲイである自己の否定がある。トランプについても同様で、一瞬でも気をゆるめたら失われてしまう「成功者」「勝者」「男らしいリーダー」のポジションを保持するため、つねに吠え、理屈に合わないでたらめを吹聴し、無法な行為をつづけるほかない。攻撃アタック攻撃アタック攻撃アタック。もし自分に真の意味での自信があり、みずからを肯定できているのなら、あのような攻撃性は生じるだろうか。トランプという人物の精神的な余裕のなさからは、強い自己否定の感覚が推察できる。とはいえ、ロイとトランプのふたりは、現実世界において「絶対に負けない方法」を編み出してしまったわけで、この前代未聞の発明にどう対抗すればいいのか、私にはまったくわからないのである。

【スキンケアで自己肯定しましょう】

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