見出し画像

これからも友だちでいようね

この前の祝日、喫茶店で仲よさそうに談笑する老婦人ふたりを見かけた。ケーキを食べながら笑い合っていた親友らしき女性。実に楽しそうだ。一方、私はといえば、気軽に声をかけて喫茶店で一緒にお茶をする友人がいないという悩みを抱えていた。そんな相手がいればどれだけ楽しかろうと思いながら、ひとり静かにケーキを食べる、孤独な道。それはいいんだけど、老婦人たちが語らいを終え、さてお会計という段になったとき、ふたり揃って「自分が払う」と言い出してきかないのである。「今日は私が」「あらダメよ、今日は私なんだから」「この前すっかりお世話になっちゃったじゃない」「いけないわ~そんなこと~」と三往復くらい。その後、測ったかのようにスッと収まった。武道の型のような域に達した、ある種の美学を感じるやり取りであった。

喫茶店のレジ前などでよく見かけるこの女性同士の会話が、その日はとても風流なものに思えて、しばし見とれてしまったのである。いいなあ、友だちって。こんな友人が欲しいとうらやましく感じた。私にはいないもの、こんなに楽しい友だち。このやり取りが演技だということは、ふたりとも当然わかっているのだ。払うと言い張る、断って自分が払おうとする、もう一度食い下がる、からの「ダメよダメよ」、これをほどよく行ったり来たりさせつつ、引っ張りすぎずの頃合いでフィニッシュ。阿吽の呼吸で成り立つ脚本の通りにしっかり演技をして、気分よく会計を終える。こうしたルーティンを、手を抜かず毎回きちんとやり切ることでしか維持できない人間関係というものが、きっとあると思った。結局のところ、あのふたりは「また喫茶店でおしゃべりしようね」「これからも友だちでいようね」と気持ちを確かめ合っているのだ。イチャついちゃってさ。ステキ! そう思うと、さらに胸がキュンとなった。

それにしたって、会計ってやつはめんどうである。人と会うと必ず会計が発生する。いったん外に出れば、最後は会計が待っている。人間関係や交際でかなり重要なパートが会計なのである。そこをきれいにキメないと、気持ちよく終われない。後から思い出して「アイツ何だよ……」と気分が悪くなったりするのも会計である。いっそのこと、公園のベンチに座って水飲み場の水を飲みながら語り合いたい、と思う人もいるだろうが、人生なかなかそうはいかない。山奥でひとり自給自足の生活でもしない限り、人は会計から逃れられないのだ。No Kaikei No Life. お金がからんだ途端、隠された醜い人間性が顔を出してくる事態もあるから緊張を強いられる。だからこそ、鬼門である会計を優雅に切り抜け、さらには友情を深める手段として、武道の型にも似たルーティンを編み出すにいたった老婦人の知恵を前に、私は感嘆するのであった。学びたい作法。いつか私も、一緒に喫茶店でお茶ができるような仲良しの友だちを作って、レジ前であの美しい演舞ルーティンをキメてみたい。それより、友だちってどうすればできるのかしら。

いいなと思ったら応援しよう!