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アメリカよ、愛って何時?(1)

働くのは恥ずかしくない

17世紀初頭に英国のピューリタンたちが渡ってきて以来、アメリカという国が発展していくなかで特徴的だったことのひとつに「働くのが恥ずかしくなくなった」が挙げられると思います。欧州には貴族制があって、貴族にとって労働とは恥ずかしい行為でした。労働が忌避されていたわけです。仮に没落した貴族が食うに困って働こうものなら、周囲から侮蔑のまなざしで見られてしまう。「ヤダ、あの人よりにもよって働いてる」と見下され、陰口を叩かれてしまう風潮があった。そのため貴族は日々、社交をしたり、遊んだり、美術や音楽をたしなんだりして、のんびりと暮らしていました(あるいは、のんびりと暮らしているように見せるための努力を欠かしませんでした)。働くの恥ずい。労働というのは身分の卑しい庶民がすればいいことで、貴族たるもの労働すべきではないという価値観があったのです。

ところがアメリカでは、あらゆる人が働くことになった。どんなにお金持ちでも、どんなに偉くても働いていいし、労働は恥ずかしくないという、かつての欧州における常識からすれば仰天の価値観が発生したのです。発想がフレッシュ。なぜこのような画期的な転向が可能だったのか? これはアメリカのすごい部分だと思います。ある種の社会実験であり、発明ですね。ザ・スミスのモリッシーは「WORK is a four letter word」(労働とは卑語だ)と歌いましたが、アメリカでは労働が卑しい行為ではなくなった。これには当時の欧州もびっくりしたことでしょう。

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アンチ・ヨーロッパ

アメリカの建国コンセプトのひとつに「アンチ・ヨーロッパ」的な思想があると思います。せっかくの新天地なのだから、とにかく欧州への逆張りをキメてやろうという挑戦の意志があったんではないか。これに関連する話をしますと、フランスの政治思想家であるアレクシ・ド・トクヴィルが19世紀半ばに発表した『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫他)で書いていることなのですが、アメリカが画期的だったのは、相続税を導入したことだというのです。これはどういうことか。労働と相続税の関係性を、トクヴィルのユニークな指摘から読み解いてみましょう。

世襲の富、階級の特権、生まれの特典がもはやなく、誰もが自分自身からのみ力を引き出す(『アメリカのデモクラシー』)

アメリカは相続税を導入した。欧州にはかつて相続税がなかったのですが、それは相続税を導入してしまうと、貴族が立ちゆかなくなるからです。貴族にとっての基盤は何かといえば、代々守っている土地になります。同じ土地を受け継いでいくことが、貴族を貴族たらしめている。かつての欧州では、貴族は貴族、農民は農民というように、階級や財産を完全に固定することで社会の揺れ動きを減らし、安定させようという力学が働いていました。相続税をかけられてしまうと、土地が受け継がれませんから、貴族制はあっという間に終わってしまいます。このように、貴族制と相続税には相反する関係がありました。ゆえに欧州には相続税が存在しなかったわけです。貴族はただ自分の土地と財産を守っていけばよかった。

世襲の富が存在しない社会

相続税を導入することは機会の平等につながります。出自に関係なく挑戦でき、一発逆転もできる。これぞデモクラシーの発想です。もちろん現実には、出自に関係のない平等な競争というのはそうかんたんな話ではないのですが、理念としての平等は大事ですし、かかる理念を(建前上だけでも)実行に移すところまではできた。そこはアメリカすごいなと感心してしまうのです。その象徴となるのが相続税の導入であり、アメリカ国家のダイナミズムにつながったとトクヴィルは指摘しました。

民主的国民には世襲の富が存在しないから、誰もが生きるために働くか、かつて働いていたかであり、あるいは働いた人の子として生まれている。労働の観念はだから、人間に必然で、自然かつ当然の条件として、人間精神にいたるところから生じる(『アメリカのデモクラシー』)

かくして、働くのが恥ずかしくない社会アメリカができたというわけです。「働いた人の子として生まれている」という言い回しがいいですね。アメリカという国は、いろいろと目新しいコンセプトをひっさげて登場した国家だったのですが、個人的には「労働が不名誉ではない」はかなり斬新であったと思います。いままで誰もやっていないことをやる、というのは、意外に難しいものなのです。(続く)

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