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『クレイヴン ザ・ハンター』と、他人事とは思えない登場人物
シンプルなヒーロー登場
この映画のなにがいいといって、主人公の特徴が「ものすごく強い」という点である。昨今、スーパーヒーローの特徴は複雑化の一途をたどり、時空をねじ曲げたり、身体が微粒子みたいに小さくなったりとさまざまに変化してきたが、ここに来てシンプルに「走るのが速い」「ちから持ち」「腕っぷしが強い」などの特技を持ったキャラクターが再登場したことに満足した。私は、ハルクみたいに身体が大きくて、わかりやすく強いやつが好きなのだ。逃げる悪役の車を走って追いかけて、必死で走ったあげくに追いついてしまったり、ヘリコプターを空に飛ばせないために、ヘリコプターと綱引き合戦をしたりと、だいたいのことを腕力でどうにかする主人公に惹かれた。足腰げんきヒーローである。
一方で、本作のテーマは家父長制だ。ついにこの問題をヒーロー映画で描くときがやってきたと、私は嬉しくなった。本作の主人公であるクレイヴンことセルゲイ・クラヴィノフ(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、ほんらい穏やかな青年である。しかし父であり、麻薬組織を取り仕切る犯罪者ニコライ(ラッセル・クロウ)のもとで、苦痛に満ちた生活を送っていた。犯罪集団のボスである父は「強い男たれ」との信念のもと、セルゲイと弟のディミトリ(フレッド・ヘッキンジャー)に対して過酷な試練を与えていたのだ。強い男でなければ組織をまとめられない、というわけで、異様なマッチョイズムを強制する父。ニコライは息子ふたりに、凶暴なライオンを銃で仕留めるよう命じたが、セルゲイはライオンに襲われて大けがをしてしまう。そこでなんやかんやあって、ライオンのDNAを体内に取り込んだセルゲイは身体が変化し、最強のハンターであるクレイヴンに変身したのであった。
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家父長制とのたたかい
ラッセル・クロウ演じる凶暴な父ニコライは、家父長制を絵に描いたような男であり、全体を通じて兄弟にとてつもない威圧を与え続ける。男らしく、強く、冷酷かつ非情な支配者たれ、と兄弟を導こうとするが、弟のディミトリは、ピアノと歌が大好きなゆるふわ系であり、父の期待するような野獣には育たなかった。父は失望する。お前のような男に麻薬組織など仕切れるはずがない。かくして「男性性の欠如」という、自分ではどうすることもできない問題(努力して男らしくなるには限度があり、その試みはほぼ失敗する)で周囲から蔑んだ目で見られた弟ディミトリは「強い男」に憧れ続け、コンプレックスに苛まれる。このディミトリの気持ちが、私はとてもよくわかった。私もまた、周囲から「男らしくない」とさんざんからかわれ、どうすれば男らしくなれるのかと「強い男」に憧れた過去があるためだ。しかし私は強くなれなかった。スキンケアとラブコメ映画が大好きな自分を変えることができなかったのである。
かくして本作は、呪いのように兄弟を苦しめる家父長制に対して挑みかかる主人公クレイヴンと、兄弟から日々のよろこびや感受性、安寧を奪う存在である父ニコライとの直接対決へとなだれこんでいく。ここが実にいい。現代的な脚本であると思う。たまたま「強い存在」になれた兄と、「男らしく」なれなかった弟。兄は家父長制を否定する強さを持てたが、弟はいつまで経っても、男性性や家父長制のなかで自分を認められたい、という欲求を捨てきれない。そして彼らはどのような運命を歩んでいくのか、といった顛末が描かれる後半からエンディングにかけての展開は実にすばらしかった。自分自身の過去を認めてもらえたような気がしたし、家父長制のみじめさがとてもよく出ている脚本に胸を打たれたのであった。兄の気持ちもわかるが、弟の気持ちはもっとよくわかる。私はこの弟のような人生を送ってきたような気がするからだ。
【スキンケアで家父長制を打倒だ!】