みんなで大きな家に住もう
家賃が払えなくなったら
ひとり暮らし最大の恐怖は、家賃が払えなくなることではないだろうか。大学を卒業し、親が仕送りをやめたその日から、私は長らく、家賃が払えずに住む場所を失う恐怖と隣り合わせの人生を送ってきた。仕事を辞めれば、みるみるうちに貯金は減っていく。やがて家賃を滞納し、家を追い出されて行き場を失う。あゝ無情。とはいえ、実家にだけは絶対に帰りたくないのである。中学のとき、不良のトモヒロ君にさんざん嫌がらせをされたし、とにかく田舎は絶対にイヤ。私はトモヒロ君のいない東京が大好きなのだ。かくして、住む場所を失いたくないという不安から、上司のパワハラに耐え、しんどい仕事を続け、私は心身を疲労させてきた。もううんざり。もっとライトに「体調が悪い」「職場が合わない」「なんかダルい」「ちょっと休みたい」、そんな理由で仕事を辞めてもいいはずだが、そうはいかないのが現実である。
思うに「住む場所を失うかもしれない」とは、働く人すべてにとって最大の弱点ではないだろうか。だからこそ辛い環境やハラスメントも我慢せざるを得ない。路頭に迷ったらどうしようと不安を抱きながら、多くの人が働いている。生きていく上での不安の8割はこれじゃないかと思う。しかし、仮に5人で共同生活していればどうだろう。そのうちひとりが仕事を辞めたとしても、残りの4人がどうにかしてくれる。いきなり住む場所を失うことはないし、飢えることもない。お互いを支えあうことでリスクを分散できるから、日々の不安はかなり減るはずだ。また、ひとりの生活は孤独である。会話も生まれない。一方、誰かと一緒に暮らせば、つねにコミュニケーションが生じて楽しい毎日を送れる可能性がある。みんなで桃鉄とかもできる。しかし妙なのは、この社会は、単身生活か、結婚した夫婦の生活いずれかのみを前提としていて、それ以外の暮らし方をほとんど考慮していないことだ。不動産屋へ行っても、ひとり用の部屋か、夫婦のための部屋があるだけで、それ以外はあまり準備されていない。社会が、婚姻をともなわない同居を前提としていないのだ。
共同生活すればいいのでは
そんな話を友人としていたら、「伊藤さんがどうにか本を大ヒットさせて、印税で大儲けして、そのお金で大きな家を買ってみんなで住みましょう」と言われて、なるほどそれはいいアイデアだと思った。実際「本を大ヒットさせて」の前段にはかなりムリがあるが、友だちが5人くらい集まって大きな家に住んで、家賃や生活費の不安がない状態で暮らせれば、安心して生きていけるし、こんなに愉快なことはないと納得したのである。そもそもどうして、われわれは別々の部屋に住んで、冷蔵庫やら洗濯機やらをすべて自前で買い揃えなくてはならないのか。一緒に住めば、洗濯機などひとつあれば充分である。食事だってみんなで食べれば楽しいし、いろいろなことが節約できる。婚姻という方法を取らなくても、ただ単に友だちどうしが集まって、助け合いながら暮らせば幸福になれるのではないか。なぜ私たちは住環境において、こうも切り離されているのか。そんなことを考えたのは、クリステン・R・ゴドシーの著書『エブリデイ・ユートピア』(河出書房新社)を読んだ影響もあるかもしれない。同書で、著者はこう述べている。
そうだとも! 私はアメリカのクリステン氏に、海を越えた賛同の意を念で送った。実に鋭い指摘である。彼女は、隣人が芝刈り機を買ったと話すのを聞いて「なぜ私に『芝刈り機を貸してくれ』と言わないのだろう」とふしぎに思っていたという。いま、私はその気持ちがとてもよくわかる。私自身、いままでひとり暮らしのアパートを借りる生活を疑問に感じたことがなかった。それ以外の選択肢などないと思っていたからだ。しかし、冷静にふりかえってみれば、そうしなければいけない理由などないし、家賃やら生活費やらの過大な負担にあえぎながらどうにかやりくりする暮らし方より、もう少しラクで楽しい方法があるではないかと気づいたのだ。他人と暮らすのはにぎやかそうだし、一生に一度くらいやってみたい(私はまだ他人と共同生活したことがない)。なんかもう、ひとりに飽きちゃったのだ。そのためには、どうにか大きな家を手に入れて、住む人の家賃と光熱費がタダの場所を作らなくてはならない。さあ、忙しくなってきたぞ。まずは超弩級の大ヒット本を書く必要があるのだが、どうやったら書けるのだろうか。誰かヒット本の作り方に詳しい方、教えてください。
クリステン・R・ゴドシー『エブリデイ・ユートピア』(河出書房新社)