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レコード vs 俺

アルバムを1枚通してじっくり聴くというのは、なかなか集中力の必要なことだと思う。若かりし頃の私は、世俗の雑事からいっさい離れ、音楽だけに没頭できたし、アルバムを日々じっくりと聴くことができた。なにしろ音楽に対してまじめだったためである。一方、現在の私ときたら、ながら聴きしかできない状態へと堕落してしまった。恥ずべきことだと思う。かつて心がけていた、一音も聴きもらすまいという真剣さ、音楽と真正面からの対峙、その姿勢は居合抜きの達人のごときであり、いわば「レコード vs 俺」といった様相を呈していた。あの頃の私が、現在の音楽の聴き方を知ったら、さぞや嘆くだろうという気がする。

20歳くらいまでの私は、夜寝る前に好きなアルバムを通して聴く時間を必ずもうけていて、部屋の電気を消して布団に入ってからレコードやCDをかけ、横になりながら音楽に没入していた。この状態にすればいちばん音楽が美しく響き、陶酔できるというセッティングだった。「夜/暗い部屋/布団に横たわって集中」という一連のセッティングがうまくいくと、耳の感覚が全開になり、音楽が全身にしみわたる状態へと達し、やがて音楽と自分の一体化というレベルに至る。少し大げさにいえば「めくるめく音楽旅行」のような覚醒状態に自分を持っていくことが可能であり、同じアルバムを何度も何度も聴き、そのたびに酩酊して布団のなかから宇宙に向かって飛び出すような感覚を味わうことができた(※違法薬物は使用していません)。

あのただならぬ酩酊感覚は、年齢と共に失われていってしまった。惜しいことをしたと思う。映画や小説など別の表現については、時間の経過と共に、より深いレベルで感動できるようになったし、感覚が衰えたとは思っていないのだが、音楽に関しては、かつての鋭敏な感受性が損なわれたという自覚がある。現在サブスクリプションを使えば、ひと月に千円で旧譜から新譜まであらゆる音源をほぼ無限に聴くことができるのであり、月に何万円もかけてレコードを買っていた過去からすれば夢のような状況なのだが、いまの自分の音楽の聴き方には納得していない。たしかに音楽を聴くための便利な環境は整ったが、問題はちゃんと酩酊しているか、めくるめく音楽旅行をしているかである。

かつての感覚を取り戻せないかと、楽器を練習する時間を作ったり、中古レコード店をのぞく習慣をつけたり、例のセッティングで音楽を聴いてみたりと工夫しているのだが、どうにもうまくいかない。世の中全体も、アルバムからプレイリストへと主軸が移っていった。思えばアルバムとは、レコードなりCDなりというフォーマットの制限から生まれたものであって、かかる制限が消失すれば、同時にアルバム自体がなくなってもおかしくないのであった。また悪いことにプレイリストってやつが、ながら聴きにちょうどいいから手を伸ばしちゃうのであり、ますます堕落していく一方の私だ。いまは18歳の自分自身に謝りたい気持ちでいっぱいである。

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