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『エターナルズ』と、苦悩するヒーロー像

結末に触れていますので、未見の方はご注意ください。

異色なテイスト

マーベルの新作『エターナルズ』は、これまでのMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)作品と比較すると、かなり異色なテイストとなりました。ストーリーの印象としては、漫画版『風の谷のナウシカ』(1982〜1994)と、映画『マトリックス リローデッド』(2003)『マトリックス レボリューション』(2003)をかけ合わせたようなストーリー展開であると感じました。すなわち、世界のどこかに創造主のような大きな存在がいて、ある目的を持って世界をデザインしているという設定です。創造主の目的が邪悪であると気づいた登場人物たちは、世界を変えるために反旗をひるがえしますが、実は登場人物自身もそうした計画の一部として作られ、利用され、使い捨てられる矮小な存在であると気づく点が類似しています。映画として成立させるには、哲学的で難しいテーマのフィルムだといえます。一方、アニメ版『風の谷のナウシカ』(1984)や『マトリックス』(1999)は、この複雑なテーマへ踏み込む前の段階で物語を終えています。だからこそアニメ版『ナウシカ』や1作目の『マトリックス』は爽快なのですが、より先の領域へ踏み込もうとすると、一気に話が複雑になっていくような気がします。

こうした複雑で割り切れないストーリー展開のヒーロー映画があってもいいと思いますし、テーマの設定としては好みなのですが、マーベルがこれをする必要はあるのかと考えるとやや疑問でした。2時間の娯楽映画にはとうてい収まりきらない、重い主題なのです。私はマーベル映画を見るたび「自分がトニー・スタークだったら」「もしスパイダーマンの能力が手に入ったら」と夢想するのですが、今回「エターナルズの一員になりたい!」とは思いませんでした。エターナルズは悩みが多そうです。神の如き能力を備えているがゆえに、逆に孤独や煩悶が増しているのです。またグループ内の不和も作品に暗い影を落としています。エターナルズのメンバーはみな自分の能力を持て余していて、「普通の人間として静かに暮らしたい」「不老不死はキツすぎるので、人間としての成長、成熟を経験してから寿命をまっとうして死にたい」といった、つつましやかな希望を抱くようになります。

ヒーローであることの苦悩

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「ヒーローであることの苦悩」は、過去のMCU作品の中でも描かれたテーマではありましたが、ここまで深い苦悩はなかったように思います。ヒーローの存在意義は「人助けができる」「社会の役に立っている」点にあるのですが、『エターナルズ』においては、そもそもエターナルズの存在そのものが人類存続の否定、人類にとっての脅威になってしまっているため、物語の爽快感に結びつかないのです。また「人類の歴史に介入できない」という縛りがあるエターナルズの弱点は、ヒーロー映画の興奮や爽快感のベースにある定番描写、たとえば「火事で逃げ遅れた人を助け出す」といった見せ場が限定されてしまうことです。もう少し、ヒーローであることを楽しんでもいいのではないか。物語の最後で、みずからの創造主に対してノーをつきつけ、人類と共に生きる選択をしたことで、ようやくヒーローとしてのスタート地点に立ったエターナルズですが、陰鬱な仲間割れや個性的なメンバーの死など、重い展開となった点も気になりました。

本作の監督は『ノマドランド』(2021)のクロエ・ジャオ。監督の人選でもチャレンジしていますし、「自分たちの存在意義が根底から崩されてしまうヒーロー」というテーマも挑戦する価値があると思います。同性愛描写もさることながら、広島への原爆投下を悔やむ登場人物という、これまでアメリカ映画がなかなか踏み込めずにいたテーマを描いた点も画期的です(米国には、原爆投下の事実を直視することを怖れる傾向があると思います)。ただし総体的に考えた場合、マーベルというブランドの方向性とはいまひとつ相性がよくないと感じたのでした。チーム内で最強の能力を持つイカリス(リチャード・マッデン)が暴走し、ダークサイドに落ちるのかと思いきや、中途半端に苦悩を見せるといった展開もいまひとつ腑に落ちにくい。監督のやりたいことも非常によくわかり、MCUとは切り離した一般的なSF映画として上映すればかなりいい作品だと感じたかもしれませんが、マーベル作品としての枠組みにうまくハマらなかったと感じるフィルムでした。

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