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『マトリックス レザレクションズ』と、人間には自由意思があるか

※内容に触れていますので、未見の方はご注意ください

『マトリックス』の何が新しかったか

2021年にあらためて『マトリックス』(1999)を振り返った時、何がそれほどに新しかったのでしょうか。当時私は、誰も見たことのなかったバレットタイム撮影や驚異のCG映像といったビジュアル、あるいは「この世界は脳につながれたケーブルを通して、コンピューターが見せている夢だ」というストーリーの斬新さが重要だと考えていました。しかし、20年以上経ったいまになって考えれば、同作の先進性は、1999年の時点で「自由意思」を重要なテーマとしてとらえ、表現していたことが大きいように思うのです。『マトリックス レザレクションズ』はよりメタ的な要素も取り入れ、「映画作りにまつわる映画」としての側面、また監督であるラナ・ウォシャウスキーの個人的経験などが取り入れられた意外な展開を見せました。それらのモチーフも重要なのですが、私がシリーズ4作目にあたる『マトリックス レザレクションズ』を評価したいと思うのは、同作が自由意思のテーマに回帰していった点にあります。2021年になり、自由意思はさらに重要な問題になりつつあるのではないでしょうか。

『マトリックス レザレクションズ』の物語世界で、ネオ(キアヌ・リーブス)は「トーマス・アンダーソン」というかつての名前で、テレビゲーム会社に勤めています。彼は「マトリックス」と呼ばれるビデオゲームの制作者として成功を収めていました。映画の旧三部作内で起こったできごとは、実はゲームのストーリーだったと置き換えられ、世界中の人びとがビデオゲームとしての「マトリックス」を楽しんでいるという設定です。ゲームはパート3まで出ていましたが、4作目がリリースされることが決まっています(本作が「映画作りにまつわる映画」であるのはこうしたモチーフであり、どこか『8 1/2』〈1963〉を連想させます)。ネオはゲームクリエイターとしては名声を得たものの、精神的にかなり弱っている状態です。かかりつけの分析医に話を聞いてもらいながら、青い薬を飲んで心の安定を図ろうとしていました。そんな中、ネオの周囲で激しい銃撃事件が起こり、彼はさらに精神が不安定になっていきます。ネオは、自分が作ったゲームキャラクターであるモーフィアスに出会ったのです。モーフィアスはネオを別世界へ連れ出そうとしていました。

がんばって敵の攻撃を止めるネオさん

人は自発的に何かを選択できるのか

旧三部作に登場した「預言者」ことオラクル(メアリー・アリス)は、作中の自由意思を象徴するキャラクターです。彼女に「キャンディを食べるか」とすすめられたネオは、キャンディを手に取ろうとして思わず「自分がこのキャンディを受け取るかどうか、あなたはあらかじめ知っているのか」と問いかけます(『マトリックス リローデッド』〈2002〉)。ネオは自分の意思でキャンディを受け取っているのか? この問いかけこそが、なぜ『マトリックス』が先進的な作品であったかの理由だったと思うのです。『マトリックス』三部作は、「われわれは自発的に何かを選択できるのか」「選択するかどうかはあらかじめ決まっていて、われわれは何かを選んだような気がしているだけなのか」というテーマを繰り返し取り上げてきました。そして自由意志は、2021年を生きるわれわれにとって、より身近でややこしい問題になっています。

自由意思というと、何だかいかにも複雑そうに聞こえますが、実際は日常的な問題です。たとえばYouTubeについて考えてみましょう。ユーザーのうち、「この動画を見たい」という明確な目標を持ってYouTubeを訪れる人は少ないのではないか。YouTubeの画面を開くと、そこにはこれまでの視聴履歴に基づいた推薦動画が次々に現れてきます。ユーザーは、そのおすすめの中から、おもしろそうなものを適当に見つくろって再生しています。多くの人は、自分が何を視聴するか、アルゴリズムに決めてもらっているわけです。たしかに、画面上にはいくつかの動画が候補として並んでおり、その中からひとつを選択していると言えなくもないのですが、事実上はアルゴリズムが「何を見るべきか」について決めています。私自身YouTubeを見る際に、何かを選択しているという実感があまりありません。アルゴリズムが見ろと言っている動画を何となく見てしまっている。

今回のネオはあんまり攻撃しないで、ひたすら防御の人でした

「君たちには何も選べない」

これがYouTubeの動画程度であれば害はないかもしれませんが、イスラエルの思想家ユヴァル・ノア・ハラリは著書の中で、やがてGoogleが人びとの就職先を決める未来がやってくるのではないかと予測しています。Googleは膨大な個人情報を蓄積しており、アルゴリズムを使って、その人物にもっとも適していて、成功する可能性が高い職業を推薦してくるかもしれない。そのとき、AIのアドバイスを受け入れるのかとハラリは問います。「あなたは家具のデザインをしたいと思っている。しかし、あなたに関してGoogleに蓄積された情報や特性を元にアルゴリズムが検討した結果、家具のデザイナーとして生計を立てられる確率はきわめて低い。その代わり、生命保険の販売を仕事にした場合、たいへん優秀であり、金銭的に大きく成功することが約束されている。より確実な安定を目指すのであれば、保険販売の職に就くべきである」とGoogleがサジェストしてきた場合、私たちはそれに従うべきなのでしょうか。もし従った場合、われわれに自由意思はあると言えるのでしょうか。こうした問題意識は、1999年にはほとんど存在しないものでした。

『マトリックス レザレクションズ』における支配者が、どのようにネオやトリニティを挑発してくるか。「君たちには何も選べない」と、彼は言ってくるのです。「すべての結論はアルゴリズムによって確定済みである。抵抗の余地はない。選択などまやかしであり、人間は従属を是としている。アルゴリズムによって決められた最適な道に沿って進むほかないのだ」というメッセージを支配者は伝えます。だからこそお互いにとって悪くない選択をしようと、ネオやトリニティを懐柔しようとするのですが、支配側のこうした試みは失敗します。ラストシーンは、人間には自由意思があり、ものごとを選択するのは可能だという宣言のようでもあります。『マトリックス レザレクションズ』は、人間の自由意思を信頼するというポジティブな締めくくりによって、シリーズを通した問いかけを結論づけます。こうしたテーマの先進性こそが、『マトリックス』を特別な作品にしているのだと思うのです。

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