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中央公論に寄稿しました
「男らしさとスキンケアの相克」
こんにちは伊藤です。先日、著書『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)を出版しまして、たくさんの方に読んでいただこうとがんばって広報活動につとめていたところ、中央公論から「いっちょ寄稿してみる?」とお声がけいただき、原稿を書くこととなりました。いま発売している中央公論に掲載されております。一部試し読みができますので、ぜひ読んでみてください。下記のリンクは前半部分の試し読みとなっております。通して読みたい方は本誌をご覧くださいませ。
この原稿で書いたのは、主に90年代についてなのですが、そこで直接的にコンビ名は出さなかったものの、ダウンタウンの功罪を論じています(まあ、誰がどう読んでもダウンタウン以外の芸人は思い浮かびませんが)。90年代には、比喩ではなく日本全体がダウンタウンの影響を受けていたと言っていいと思います。話し方、コミュニケーション、ものごとを見る視点、すべてがダウンタウン主導で進んでいたような状態でした。当時を知っている人なら、決して「そんな大げさな」とはならないはずです。とにかく彼らの影響力はとんでもなかった。彼らの登場の前後では日本語が変わったと、私は本気で考えています。
乱暴なコミュニケーション作法
90年代にはあれほど特別に見えた彼らですが、マイナス面もかなりありました。わざと無礼にふるまったり、相手の指摘されたくない容姿や身体的特徴をずけずけと指摘したりといった態度が「おもしろい」とされ、影響を受けたテレビの視聴者はみな彼らの真似をして、他人に乱暴な口を聞くようになりました。私もそれでずいぶん嫌な目に会いましたが、不快感を示したり、怒ったりするのは「シャレがわからない」とされ、辟易したのを覚えています。そうした時代の空気のなかでは、なかなかNOと言いにくい。ダウンタウンは自己変革しないタイプの芸人だったため、00年代、10年代と時間が経つにつれ、しだいに世間とのチューニングがずれていきました。しかし、90年代の彼らは圧倒的であり、番組を見ていて違和感をおぼえても、その理由をうまく言語化できませんでした。
当時から彼らはドッキリが好きで、いろいろな人にパワハラめいたドッキリ(大声で怒鳴る、ある人物の失敗で問題が起こったと思い込ませて恫喝する等)を仕掛けていましたが、そうした回は怖くて見る気がしませんでした。2023年のいまも彼らの番組はドッキリを続けていて、その感覚の古さには苦笑するしかありませんが、90年代には、ダウンタウンの乱暴なコミュニケーション作法が新鮮に感じられたことも事実でした。90年代はいろいろと配慮に欠けていたし、そのことで私はしなくてもいい苦労をした気がしていて、思い出すといまだに苦い記憶が多いです。いま、そうした乱暴さや失礼さが「間違ったもの」と受け止められ、穏やかなコミュニケーションが基本になっていることに安心しているのですが、そうした記憶とセルフケア(スキンケア)を結びつけた原稿になっているのが、寄稿した文章になります。ぜひ読んでみてくださいませ。