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口がびっくりする
キムチ鍋が好きで、冬場はそればかり食べている。これさえあれば私は満足なのだ。豚肉や春菊との相性もいいし、最後にうどんでしめるのもおいしい。脂質が少ないので、ダイエットにも適している嬉しいメニューである。他の鍋も決して嫌いではないのだが、キムチ鍋の熱い興奮にはかなわない。とはいえ「同じものばかり食べているのも芸がない」と思い、塩鍋やとんこつ鍋、豆乳鍋などをあいだに挟んで小休止していた時期もあったが、「私はキムチ鍋がいちばん好きなのだから、それ以外食べる必要はない」と決心が固まってからは、迷いなくキムチ鍋だけを食べるようになった。
ご存知の通り、鍋は季節のもので、2月ぐらいまでは頻繁に食べているが、それ以降、春・夏・秋としばらく遠ざかる。11月に鍋を再開するとして、年のうち8ヶ月は鍋を食べないオフシーズンになるが、このサイクルを何年も繰り返していくうち痛感したのは、半年以上のブランクを経て最初に食べる11月の鍋が、一年の中で最高においしいキムチ鍋だということである。この「長期の休止から、再開の一鍋目」にはたまらないものがある。しばらく食べていないため、口が「キムチ鍋はどんな味なのか」を忘れてしまっており、ひさしぶりに食べるとあまりのおいしさに口がびっくりするのだ。まるでキムチ鍋を初めて食べた人間のような顔になって、私は思わず声に出す。
「……うまいな」
毎年必ず「こんなにうまかったかキムチ鍋?」と口が驚いてしまう。わけても11月のブランク開けは最高においしいと頭ではわかっているのだが、口がそのうまさをきちんと記憶できていない。そのため毎年11月になると、同じようにキムチ鍋を食べては、毎回律儀に驚いてしまうのである。どうしても、この感覚に慣れない。思うに、8ヶ月のブランク期間はとても大きく、どれほど脳が味覚をイメージしようとしても、身体のダイレクトな反応に意識がついていかない部分があるのだろう。口に入れたとたん、その辛さとコクが全身に沁みわたるような感覚がやってくる。理屈ではなく、フィジカルに直接訴えかけてくる味。必ずこうなるとわかっているのに、私は毎年のように同じ言葉を口に出してしまう。
「……うまいな」
ひとつ悲しいのは、2回目、3回目と食べていくうちに、口がキムチ鍋のうまさに慣れてしまうことである。いわば「安定のうまさ」というポジションに落ち着いてしまうのだ。それはそれで悪くないが、11月に食べる最初の鍋だけがもたらすあのびっくり感、この魅惑的な食べものを考えた人に感謝を捧げたくなるような感動と意外性は年に一度しか味わえない。「安定のうまさ」はちょっとつまらない。なにごとも慣れるのは退屈だとつくづく思う。安定してどうする。私はずっと驚いていたいのだ。冬のあいだずっと「その冬最初のキムチ鍋を食べた瞬間の衝撃」が途切れずに続いたら最高なのだが、さすがにそのようなわけにはいかないのである。