「電父」だより - 3
恥ずかしいんですが、どうすればいいですか
こんにちは伊藤です。2月24日に発売される私の著書『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました』(平凡社)についてお知らせしていく「電父だより」、今日が3回目になります。先日、本の表紙もできあがりまして、これが予想以上にインパクト大。実物も手に取って見たのですが、こんな本を書店に置いたらどうなっちゃうのというやんちゃな仕上がりです。「おじさんスキンケア天国」みたいな爆発力を秘めた、おもしろデザインとなっております。この表紙が書店に置いてあったら、たいていの人は二度見しちゃうな。ナイスな装丁にもご期待くださいませ。
『電父』のなかでは、スキンケアを恥ずかしいと思う気持ち、化粧水や美容液を買いに行くときに内側からせり上がってきた抵抗感について、多くのページを割いて書きました。「スキンケア製品を探しにお店に行く」と考えただけで、頬がかっと熱くなるような照れくささがある。これ、不思議ですよね~。なぜでしょうか。とにかく恥ずい。中年男性であれば、多かれ少なかれ、似たような感情を抱くのではないかと予想します。男性にスキンケアをすすめる場合「どんな製品がいいか」「どう肌の手入れをするか」の前段階として、「始めてもらうこと」それじたいのハードルが高く、難しいのです。私は当初、スキンケアをしている自分はみっともないと感じていたし、肌のお手入れに凝っていることをまわりの人に知られたくないと思っていました。そんなことがバレたら、周囲からばかにされてしまうのではないか。私はどうして、スキンケアを恥ずかしいと感じたのか。
照れずに自分をかわいがろうよ
スキンケアはこんなに気持ちよくて楽しいのに、多くの男性にとってはアクセスしにくい心理的な壁があるのです。世代が上になるほど、この「壁」は高く強力なものになっていく気がします。この目に見えない「壁」の正体は何か? この壁さえなくなれば、男性はもっと自由にスキンケアを楽しめて、自分をかわいがり、日々ゴキゲンに暮らせるはずなのに……。私は『電父』を書きながら、まずはこの「壁」をどうにかしないと前に進めないぞと感じていました。ドラッグストアの美容製品売り場に近づこうとすると、なぜか足がすくんでしまう。お店のレジでシミ予防ビタミン液を買いたいけれど、店員さんから「ああ、この人はシミが気になっているんだ」と思われたくなくて、そのまま帰った経験もあります。こんな精神状態では、スキンケアが楽しめるはずもありません。なぜ私は、スキンケアをする自分を誇らしいと思えないのか。
私自身の場合、こうした「壁」は、スキンケアの相談に乗ってくれた友人や、SNSを通じて知り合った先輩方とのコミュニケーションを通じて乗り越えていったわけですが、そうした過程で、自分が思いのほか「男性であれば、こうするべき」という固定観念に縛られてしまっていたと気づきました。この発見が、私にとってはとても嬉しかったのです。私と同年代の男性だと、スキンケアに対して「メンドくさい」「俺の肌がキレイになったところで、誰もよろこばない」という2大リアクションを返してくることが多いです。たくさんの男性が、決まってこのふたつのいずれかの返答をしてくるのでした。やはり、どこかに見えない「壁」があって、そこにぶつかった男性は、ほとんど反射的に、恒例「2大リアクション」をしてしまうようなのです。私は、多くの男性が口にしがちな「メンドくさい」という感情、「俺の肌がキレイになったところで、誰もよろこばない」という反応についても考え、その正体を見きわめようとしました。
私もまた、スキンケアを恥ずかしいと感じていた男性のひとりです。だからこそ伝えられる何かがある。あの恥ずかしさ、なんだったの。さあ、照れずに自分をかわいがろうよ。そうしてひとりひとりが自分をかわいがることができれば、社会はもっと穏やかで住みやすい場所になるんじゃないか。そんな願いが『電父』には込められています。「肌のお手入れ」という小さなテーマが、より大きな「男性らしさとは?」といったテーマにつながっているかもしれません。このあたりもぜひ、本を読んであれこれと考えていただきたい部分です。あー、ぜひ読んでほしいな。今週の「電父だより」はこのへんで終わります。また来週、お会いしましょう。