立原夏希
日々の記録
私は音痴だ。 だからカラオケ等には行かない。 だが家で鼻歌を歌いながら料理をしたり、掃除機をかけたりする。音程が外れてようがどうでもいい。時に踊りながら歌ったりもする。 それを見た母は、なんとも言えない表情で、嬉しそうに私に言う。 「お前は幸せだね」と。 「なんで?」と聞いてみた。 「悲しかったり怒ったりしていたら、そんなふうに楽しそうに歌を歌ったりできないよ」と。 そうか私は幸せなのか。 幸せなんだ。 年老いた母が、楽しみもないから早くあっちの世界に行きたいのに、なかなか行
実家暮らしを始めて1年半位になるが、毎朝バス停で会う女性がいる。 多分私より年上だと思う。 ずっとただ朝同じバスに乗る方というだけの関係。そしてそれは今も変わらない。 今までは話をする事もなかったのだが、少し前から朝の挨拶をするようになった。そして最近はお天気の話題をするようになる。 そして今は、その方はシフト制のお仕事で、午前中だけ働いているらしい。ということを知った。仕事の内容はまだわからず。あとどれ位経ったらもう少しお互いのことがわかるのだろうか? 本当に少しずつ、
ここ数日ジリジリとした暑さにやられる。 ひたすらペダルを漕ぐ。 額に滝のような汗が流れる。 ドアが開くと冷気に癒される。 日焼けした肌が、ほんのり赤い。 そんな日々。
ゲリラ豪雨。 タクシーに乗った途端、叩きつけるような雨。 タクシー降りた途端の晴天。 ラッキーとしか言いようがない。
過去に戻りたいと願う時、それは今まで培った知恵や経験は失うことなく過去に戻りたいと誰もが願う。 同じ失敗は繰り返さない、あの当時より今度はもっとうまくやってやる。そんな思いがあるからだ。 もしそれらの知恵や経験もリセットされて、17歳に戻ったらどうなるだろうか?同じこと繰り返すかもしれないし、今の自分より大失敗をして、どん底の人生を歩むかもしれない。それでも戻りたいと願いますか? 私はもう一度、自分の未熟さを取り戻してみたいと思う。 置き去りにしたあの日を。
ずっと1人気ままに生きてきた。 ここに来て、実家の母と一緒にいることで、家族と暮らすことって、忘れられていた過去を思い出した。 そして子供がいない私にとって、母のご飯を作る、洗濯する、家の掃除をする、人のために家事をする感覚、楽しい。いや嬉しい。 一般的に結婚して子供を育ててという過程を経てない分、今疑似体験な事をさせてもらっている感じがする。 仕事との両立が大変だが、それも勉強させてもらっている。世のお母さんは、毎日献立を考え、仕事が終わったら飛んでかえって夕飯作って。
いつもそこにいると疑わなかった。 その日が来るとわかっていても、現実を帯びてくると、なかったかように心を閉ざす。 永遠にその時は訪れて欲しくない。
夜は長いようで短い。 疲労しすぎて1時間ばかりうなされていた。 寝ようと思っても、疲れが邪魔して眠りに落ちることが出来ない。 冷蔵庫から取り出した、タウリン3000ドリンク。疲労を忘れさせる。そして明日をも忘れてしまいたい。
春頃に低糖質ダイエットをして、2キロくらい減った時点で停滞期。その後仕事のストレスもあり、リバウンドし、人生最大の体重になった。 そしてまたこれではいかんと、生活を改めたが1キロしか減っていない。そこでオートファジーダイエット。これで7キロ痩せた知り合いがいます。つまり8時間は食べてよくて、寝る時間が8時間。残りの8時間我慢する。人間の内臓を休ませるには14~16時間は食べない時間を作るのが大事らしい。 これって、結局夕飯抜きみたいな感じだなと。仕事をしている人は朝を食べ
仕事が異動になり、更にコロナ自粛などがあり、というのは言い訳というのもよくわかっているが、最高潮に太った。 検診時にたいへんな中性脂肪の値を醸し出して、びびった私は1ヶ月は糖質制限して3キロは痩せた。だか、そこからピタリと数字が動かなくなった。勿論この3キロの減量で、血液検査の結果はびっくりするくらい改善できたのはよかった。 しかしこの停滞期に思ったのは、食事制限だけでは無理ということ。やはり運動しなくては脂肪燃焼しない。とはいえ、コロナでジムはやっていない。そうこうして
空を見上げると、暗くなると共に激しい雨が降ってきた。一瞬にして全てを洗い流すかのように。 電車に乗り、我が街にたどり着くと、雨どころか道も濡れていない。 同じ空の下でも、別の時間が流れているかのように。同時に味わえたらいいのにと思う時がある。
自分の名前のいわれってどんなのがあります?初めての子供だと、姓名判断とか気にしたりする方もいますよね。 私の名前は、単に知り合いの子供の名前を1文字変えただけという、かなりいい加減なつけ方をされた。 この前占いの話を書いたが、姓名判断を自分の本名で試してみた。いい加減なつけ方をされた名前でも、もしかしたら字画は素晴らしくいいものかもしれないと。 結果、『涙が出てくるくらい大凶』らしい。とことんけちょんけちょんに書かれていた。お情けなし。 いい加減につけた名前は、運勢も
頭の中はいかにこのサマーポンチを夏らしく、海のようなイメージで撮影するかでいっぱいになった。 本日物を購入。 私はまずシールを綺麗に剥がすこと。これまたかなり張り付いていてとれない。海がイメージだから透明感出さないといけない。背景の色の選択から、配置を考え露出はオーバー気味に。 一眼レフで撮影しようかとさえ思ったが、一応スマホで撮ることにした。 たかだかコンビニのフルーツポンチ1つに、私は何をやっていりのだろうか? 梅雨明け前の昼下がりのひととき。
昨夜スマホで占いをやってみた。すると、私の運命の人との出会いは、駅にあると。駅でさりげなく助けてくれた人と、後日偶然にも出会い、そこから…。 そんな、映画みたいなこと起こるはずはないと思った。 そして実家のある駅に着く。電車を降りる時に、私も含めてだが、私の前に世間では『おばさん』というであろう年齢の女性達がいて、電車がホームに入ると、ゾロゾロと電車を降りはじめた。 すると、私個人に言ったのか?私を含めてホーム降り立った3人に言ったのかは不明だったのだが、すれ違いざまに
自転車を漕いでいた。風が強く髪がバタバタと顔を叩いてくる。とその時目に飛び込んできたのは、ボルドー色のツツジ。真っ赤に染まっていた。 人足先に桜が通り過ぎ、 季節の移ろいを感じる余裕もないままの日々。
人というものは意識していないが、言葉の片隅に好き嫌いがでる。表向きでは自由に語ってと言われたのだが、語るとその言葉尻を否定された。それも否定した本人は無意識化の発言だ。きっと他の人は、さらりと通り過ぎる風のように受け止めていたと思う。 あっ、この人私の事嫌いなんだろうなと。感じる言葉の端々に、バリアを張って自分の心を保護しないと、胸がザワザワしてやりきれなくなる。 そんな日々はあと少しのはずだ。そう願う。