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君と異界の空に落つ2 第55話
「栄次……お前……」
「いや〜! 無事で良かったぜ! おい、今なら逃げられんだろ! 一緒に逃げようぜ! 俺もこんな陰気臭ぇ集落にはおさらばだ! これからはお前と二人で生きる! 一緒に都でも目指そうぜ! 役目なんてクソ食らえだ!」
おら、手ぇ貸せよ、と小走りでやってきた栄次は言って、社の外から手を伸ばし、耀を其処から出そうとする。
呆気に取られた耀は黙るが、黙ってばかりではいられない。
「栄次、お前、直ぐ帰れ」
「はぁ? 嫌だね。俺はこの集落を出て行くって決めたんだ!」
「出て行くで構わねぇから、今はさっさと山を降りろ」
「嫌だね。ヨウと一緒に降りる」
「一緒に都に行きたいからか?」
「そうだ!」
「じゃあ先に降りとけよ。都にはそのうち連れて行ってやるからよ」
「嫌だ! 一緒に降りなきゃ俺は、ずーっと居てやるからな!」
何をそんなに拘ってんだ……? と、面倒臭くなってきた耀である。
これから神と交渉するのに、栄次が居たら邪魔である。
次に遊ぶ時はお前の言う事、いつもより聞いてやるからよ、と。宥めすかして、苛つきを見せて、頼み込んでと色々するが、栄次は「一人じゃ帰らない!」をずうっと主張してみせる。
「今は一緒には帰れねぇよ。これから仕事なんだから。お前が居たら邪魔なんだ。また明日遊んでやるからさ」
「るせっ! んな事言ってお前が死んだらどーすんだ! 役目なんか捨てて俺と逃げるぞ! 神様の食いもんなんか他の奴にやらせりゃ良いんだよ!」
ったく、どいつもこいつも勝手なもんだ! あいつらだって勝手なんだから、俺等だって勝手にして良いに決まってんだろ! と怒鳴るのだ。
成る程。栄次の怒りを聞けば、言い分が分かったような。
「お前、俺の”代わり”に食いもんになるんだぞ! 許せねぇだろ! ととも集落の爺ぃ達も皆、嫌いだ!!」
お前もそう思うだろ!? と、此処が”区切り”かと感じた耀だ。此処が怒りの頂点だから、栄次は心の苛つきを全て出し切った事になる。
あぁ、まぁ、そうだよな、と耀は思うが、生憎、耀の心の場所はその先で、それは説明しても分からぬ事だと思ったし、成そうとしている事に対して、やっぱり栄次は”邪魔”なのだ。
心の中を操るように、誘導出来れば良いのにな、と。
色々と”分からせる”のにも良さそうだと思った耀は、沈黙してから栄次に対して「思わない」とはっきり言った。
それから後ろの瑞波へと、隠さずに声を掛ける。
『こいつ、山の下まで誘導出来たりしない?』
『耀、私に話し掛けても良いのですか……?』
『いい、いい。面倒臭くなった。栄次だし』
『そんな投げやりな……』
『それよりも、どうにか意識を乗っ取るとかして、山を降りさせる事は出来ないか?』
『無理です。私には。人をどうこうしたいと思った事がありません』
あ、そうなの? と軽く返した。元より耀もそのような事が簡単に出来るとは思っていない。
「お、おい、やめろよ……」
と言う、栄次を狼狽えさせたかっただけである。
耀はそれを引き出すと、少し冷たい顔をした。
「俺はな、お前の事が好きだぞ」
威圧的に言われても、栄次に耀の真剣さが伝わったかは分からない。
「集落の事も嫌いじゃない。善持さんの事は好きだけど」
お、おう、と返した栄次は混乱したまま聞くらしい。
「良いか? 栄次。俺は幽霊は視えないが、神なら視える。後ろに居るのも神様で、話しも出来る。この集落は随分と子供を生贄にしてきたらしい。俺はお前が好きだから、生贄になんて出したくないし、お前の子供も、子供の子供も、生贄になんてさせたくない」
止めなきゃいけないんだ、と耀は目を見て栄次を諭す。
「それが人間の都合でも、変えてくれと頼まなきゃならない。神様と話せる人間なんてそうそう居ないから、これは俺がやるべき事で、此処に居させて貰う”礼”になる。善持さんには世話になってるし、これから集落の人にも世話になる。栄次とも沢山遊びたい」
だからな、と。
「今から俺は神様と話し合う。話し合い次第ではどうなるか分からないから、はっきり言ってお前は邪魔なんだ。無事に帰れたら明日も遊んでやるから、急いで山を降りろ、何かあってからじゃ遅いから」
俺が此処に居る間、お前の方を取られたら困る。
『瑞波、付いて行ってくれないか?』
と。
即座に『え。嫌で御座います』と、後ろから届いた声だった。
耀は思わず閉口する。
あっちもこっちも我が強く、全くどうしろと言うのだ、と。
『頼むよ、瑞波。栄次を取られたら俺が気まずい』
『それはそうでしょうけど……私は貴方を一人にしたくありません』
『少しくらい平気だから。まだ日は落ちないし』
な? 走って降りれば直ぐだよな? と。少し前の威勢は何処へ。後ろの何かと話した途端、希望が通らなかった顔をして、自分に同意を求めてくるので……何と無くだが、物凄く、気が抜けた栄次である。
「お前……ととみてぇ……」
「え?」
「かかに言い負かされそうな時の”とと”みてぇ」
「…………」
尻に敷かれる、を知らない栄次だから、自分の家庭の中の景色を重ね合わせたようだった。
「後ろに居んの、女神さんだろ」
「違うよ。男神だよ。でもまぁ……ととみてぇ、ねぇ」
思いがけず満更でもなさそうに笑うので、益々気が抜けた栄次は黙って、気持ちが落ち着いた。悪い奴じゃねぇんだけど、やっぱこいつ変な奴。神様見えるとか言い出すし、話も出来るとか言い出すし。
思って、ふと、川遊びの記憶が蘇った栄次だった。
始めに、栄次、視えるの!? と耀が驚いていた記憶。こっちは? と指差した方向は、今と同じ、自分の後ろだったんじゃなかったか。
クスという新しい友達は、泳ぎが上手い奴だった。俺が溺れかけた時、真っ先に川へ飛び込んで、助けてくれたと耀に聞いた。沈みたくなくて必死に動かした手足である。それを塒(とぐろ)を巻くように締め付けられた記憶がある。何かに押さえつけられるように体の自由が無くなって、あぁ、人はこのように沈んでいくのか、と。
意識が消える瞬間に、水に漂う髭を見た。長い胴体。透き通る鱗が光る。死ぬ間際だから幻覚を見たと思った。もし、耀の「視えるの!?」が、本当であるならば……栄次は素早く思考を巡らし、直ぐに尻尾を掴んでやるぜ! と。
それは率直な転換だった。子供の栄次には”楽しい事”が優先される。あのスカした態度の友が人間じゃなくて神様ならば、絶対に正体を暴いてやりたいと考えた。耀も「帰ってくる」と言うし、明日も遊ぼうと言っている。側に神様が居るというなら大丈夫だろうと思うのだ。
単純に。単純に。後ろに居るらしい神様の、言いなりになる耀を見られたのが面白かったから。お前の事が好き、と言われたのも初めてで、何だよ、そんなに俺と遊ぶのが楽しかったのかよ、なんて。
まぁ俺も楽しかったぜ? と栄次は心の中で返して、一足飛びに嫌いになった”とと”や集落の男達の事を、遠く、意識の彼方へと忘れ去った顔をした。
「まぁ良いや。お前が大丈夫ってんなら、俺、帰る。絶対戻って来いよ! 明日はクスと虫遊びすんだから!」
「あぁ、はいはい」
分かってくれりゃ良いんだよ、と。
急に物分かりが良くなる栄次に、どうした? とは思いつつ。耀は”瑞波、頼むよ”という視線を向けた。
『眷属が居れば良いんですけど……生憎、私は持ち合わせてはおらず……』
『眷属……あぁ、お師匠様達』
『いらっしゃるのでしたら呼べませんか?』
『どうやって?』
『え?』
『え?』
互いに首を傾げた二人。
凪彦は”お前の負担にならぬよう、暫くこちらに繋げ”と言っていたのではなかったか。
『多分、無理。一応、俺の眷属ではあるけれど、水晶玉の方に繋いでいるから……あぁ、じゃあ、いつかは迎えに行かないといけないか?』
一人で解決、一人で疑問を浮かべた耀を見下ろして、瑞波も一応『そうなのですか』と相槌を打つのだが。
「なぁ? もう帰っていい?」
栄次が様子を窺っていて、引き戻された耀は頷き「あぁ、悪い。気をつけてな」と。
『頼むよ瑞波。あいつ足は早いから』
『付いていくのは嫌ですが、見守るで良ければ』
見守れんの!? とは思ったが、『じゃあそれで』と無難に返す。異界でも確かに神様といえば、見守っているという印象だった。いずれは自分も出来るようになるのか? と思った耀だ。その横で栄次は”話がついたらしい”と察し、「じゃあな!」と言い残し駆け出した。
「見守ってくれるらしいから、安心して降りていけよ!」
「おうよ! ありがとな!」
来た時とはまるで違う顔。有り難うだって、と、珍しい言葉を聞いて、ふと瑞波を見上げた耀だった。
その視界がぐるりと反転する。
邪魔者が居なくなり、微笑を浮かべかけた瑞波の顔が、自分の事を見下ろしながら固くなっていく過程を見遣る。
ゆっくりと強張る頬。耀を抱きしめ、隠す腕。
顔は背後を振り返り、睨んだようで恐怖が滲む。
瑞波はこんな顔もするのか、と庇われたまま顎(おとがい)を見た。細くて彼の繊細さがよく現れた線に見える。
耳鳴りなんかしなかった。急に囚われた感覚だけ。
この世とあの世が同化して、夢幻が重なるような。
ごく自然にそれは現れ、こちらが”現実”と教えてくる。
今は現実、なのだろう。そう思わせる質量がある。
『うふふ……かわいいわねぇ……』
艶やかな女の声がした。
主を探して辺りを見回す。内裏か貴族の屋敷のような、華やかな空間だ。
欄間(らんま)の装飾華々しくあり、四方を囲む襖の格子。
天井は蟹杢目(かにもくめ)。栂(つが)の香りが漂うような贅沢な部屋である。それが延々続いていく……見てもいないのに立ち尽くす耀は、広がっていく意識の中で、空間としての構成を捉えたような感覚がした。
その広い空間を、這い回る何かの気配がする。
部屋の四方の襖の奥で、かさかさと擦れる音がする。
「なっ……なんだこれ!?」
はっとしてそちらを向いた時、耀も瑞波も愕然とした。
まずい。栄次が其処に居る。同じ場所に閉じ込められたのだ、と。
外はあれだけ明るかった筈。
社の外に居る栄次には”印”が付いていなかった筈なのだ。
縁も何も無い人間を、取り込める程の神である。
山祇(やまつみ)……それはつまり、山そのものが神のお社────。
「栄次!!」
こっちに来い! と叫んだ耀だ。
呼ばれた栄次はぎょっとする。
「お、おおお、お前っ……!!」
「?」
「お前っ……そっ、そいつ!」
「?」
「そいつは何だっ……!? バケモンかっ!?」
「は?」
栄次の視線は、まるで瑞波に向いているようだった。
『もしかして、私……です?』
耀を抱きしめる瑞波が呟く。
「そいつが山のバケモンか!?」
「違うよ。俺の神様だよ。それより待って。栄次、お前、視えてんの?」
「は!?」
神様……神様だって……? そいつが……? と。
耀にとったらこの上もなく美しい神だけど、人の好みはそれぞれだもな、と呑気に思いつつ。バケモンと言われても何も反応しない瑞波の事を、心が広いんだか、興味が無い相手だからか、と。
『あはっ……! あはははは!』
屋敷中に響く女の声。
「誰だっ!!」
慄く栄次の事を、まんじりと見ていた相手である。
『あぁおかしい。おかしいね。こんなに楽しい事は久しぶり。ねぇ、少し遊ばないかい? ”ことろ”でもしようかね?』
「…………!?」
先に見つけた栄次の視線を、辿った耀も慄いた。
一方の欄間の隅からぎょろりと覗く目があった。身を引いた女の目玉、おどろしい爛れた顔面。鬼のように釣り上がる口。髪は”ざんばら”、羅刹のようだ。
息を飲んだ栄次はぺしゃりと、腰を落として後ろに下がる。
耀は気持ちが分かった気がした。女の胴は蜈蚣(むかで)のそれだ。
かさかさと欄間や襖、柱の間を縫うように、長い長い胴体が屋敷中を這い回る。
『あたしが鬼だよ。さぁ逃げな』
崩れた顔面で、いやらしい笑みを浮かべて語る相手に、栄次は一瞬気を遣って、直ぐに意識を戻したらしい。
「にっ……逃げるぞ! ヨウ! 急げ!!」
”ことろ”を知らない栄次だったが、”おにさ”であるのは分かったらしい。耀も”鬼”と”逃げろ”と聞いたら、鬼ごっこの類であるのは分かる。
相手をしなきゃいけない理由は分からなかったが、栄次が逃げるので追わない訳にも行かなくなった。
「待て栄次! 動き回るのは危ないぞ!」
こういう時、意識を取られた人間は闇雲に山の中を駆け回り、崖から落ちて死んでしまったり、碌な事が無い知識があった。しかし、後ろの瑞波が語る。付き合った方が良さそうです、と。
『どういう事?』
『それだけ神威がお高い方、という事です』
体はあちらで眠っています。こちらはあなた方の言う、意識だけの状態ですよ、と。
『耀も早く逃げて下さい。捕まったら何をされるか分からない……』
背中を押すようにした瑞波の感触だ。
『分かった』
と言いながら、栄次の姿を追いかける。
少し遊んで機嫌を取って、交渉に持ち込んだら良いのだろうか、と。
瑞波の焦りと畏れを知らず、栄次の焦りと恐怖を知らず。
付き合って機嫌を取る、その後に交渉、と。計画宜しく考えた耀の懐の深さというのは、矢張り、禍津凪彦が好いただけのもの、かも知れない。
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