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さよなら写楽

前回からの続きになります。

写楽を題材にしたコラージュ作品を作ろうと意気揚々としていたところ、脳裏に謎の声が囁きかけてきました。

「写楽に手を出してはならぬ」

えっ、何?
大婆さま???

トルメキア軍の腐海への侵攻を阻止する大婆様の如く、その謎の声はしきりに囁き続けていきます。


「写楽に手を出してはならぬ」


でも、もう作るって決めたし。

写楽について色々勉強したし、そろそろ制作過程かなと思ったんだけど。。


謎の声に反論してパソコンに向かいます。


が、、出てこない


何も発想が出てこないのです。


今回使わせていただく作品は決まっています。
写楽の絵で一番有名とも言ってもよい

「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」

「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」という演目に出てくる役者絵の一枚です。

宝暦元年(1751年)に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃の演目。全十三段ある長編で、身分違いの母と息子の出会いと別れを3世代によって描かれた狂言ものです。
同年に江戸の中村座で歌舞伎として上演、大ヒットしたそうです。

そして、歌舞伎で上演されるにあたり写楽が役者絵を描き、華々しい浮世絵師デビューを果たしたのです。


面白い登場人物の相関図がありました。

@ukiyoe_adachi

奴江戸兵衛はなんと泥棒です(知らなかった!)。
しかも悪役に雇われているという、チンピラ役だったんですね。


江戸の泥棒、奴江戸兵衛。

見れば見るほど魅せられて、手を動かそうとしても動けない。

こんなことは初めてでした。


コラージュとは、異素材同士を組み合わせて一つの絵画を作り上げていく技法です。

が、

奴江戸兵衛を見ていると、何と組み合わせて良いのか全く湧いてきません。


「俺の横に何も置くんじゃねえよ」


と、ものすごい圧をかけてきます。



私は普段から、コラージュ作品を作る時は、お借りする作品を前に

「拝借してもよろしいでしょうか?」

と聞くようにしています。


そうすると、絵から色々な声が聞こえてきて

北斎の場合は
「おう、じゃんじゃん使え。面白いものを頼むよ!」

と応援してくれたり

歌麿の場合は
「気高さを忘れずに、上品にお願いしますよ」

と言ってくれたり

広重の場合は
「私の構図は完璧なのですが、、でも仕方のないことですね」

と渋々でも承諾してくれたり


国芳の場合は
「ふむ、いっちょ迫力あるものを頼むわ」

と快く託してくれたり


春信の場合は
「我が愛する子たちを汚さぬように」

と厳しく託されたり


それぞれの意見を聞きながら制作します。


ですが、写楽の場合は

「俺の横に何も置くんじゃねえよ」

の一点張りです。

これはもう写楽の作品のみでコラージュしていくしかない。



まず最初に作業に取り掛かったのは、奴江戸兵衛の着ている着物の柄を右往左往に動かすことから始めました。

もうこれしか策が無い、という半ば諦めの気持ちで。

これが中々面白く。
お、と思いました。


でも、その日はこれ以上は制作できませんでした。

作品を作る時は一気に作り上げる事がほとんどなので、こんなことは本当に初めてです。


今度は作りかけの、渦の中にいる奴江戸兵衛と睨めっこです。


そこで、一つの部分に着目しました。

写楽の描く「手」

写楽がアマチュア画家と言われる理由の一つに、手が下手だという指摘があります。
確かにユニークな手をしています。

歌麿の描いた手。

北斎の描いた手。

二人ともパーツが取れていて上手いです。



私は以前から「手」と「目」を組み合わせたコラージュ作品を多く制作してきました。

真実を語る「目」と祈る「手」

カモコラージュの作品を制作するにおいて、素材が西洋画だったこともあり。
宗教絵画を使用する事が多く。

そのため、「祈り」をテーマに描いた作品は重厚感があり、納得のいく仕上がりに。

作れば作るほど、「目」と「手」の組み合わせに魅せられていきました。


じゃぽらーじゅ絵画は素材が和のものなので、そういった宗教的な発想はなかったのですが。
ふと、写楽の絵で「手」と「目」を組み合わせてみたらどうなるんだろうと思い立ちました。



早速、写楽の他の役者絵の目と手を組み合わせてみました。

西洋絵画とは違い平面的です。
漫画のキャラクターみたいですね。
漫画のルーツが浮世絵という理由がよくわかります。


手を反転させてみました。

お、面白い!

寄生獣の「ミギー」の名のごとく

「シャギー」

たちが蠢き始めました。



新しい生命を得たシャギーたち。

この子達とはすぐに仲良くなれました。

「仕方ないのよ、色々あったもの」

「深く喜び、深く傷ついたんだ」

「心とは時に自分の枠を超えるんだ」

「それでも、彼なりに納得はいっているんだ」



シャギーたちは遠慮気味に、細々と話し始めます。


そうだよね、これまでに色々あったんだよね。


写楽の絵師としての短い人生と、生み出された作品たちの奇々怪界さに。

天の気まぐれとしか思えないような存在の軽さと重さと。

それでも、神様に選ばれし作品たちの荘厳さ。



シャギーたちの声に耳を傾けていると泣けてきました。

そして、いまだに写楽の作品と対話ができない理由が、なんとなく分かってきました。


写楽の作品を手がけようと思い立ってから、1ヶ月が経とうとしていました。

そろそろ終わりにしなくては、そう思いました。

「ねえ、相談があるんだけど。
私はこの作品を完成させなくてはいけない。
でも、どう完成させて良いのかがわからない。
あなたたちが生まれてきてくれたのは本当に嬉しい。
そして、あなたたちはこの作品を完成させる事ができると思う。
どうか方法を教えてほしい」


どこの国でも「手」と「目」というものは真実を語るのか。


ふと、一つの絵柄が降りてきました。
それは小紋の絵でした。

目を見張る美しさでした。

鶴が悠々と山を越えて、天竺へ登っていく様子を描いています。
夕暮れ時なのか空は赤く、青々とした連なる山のコントラストがくっきりと見えます。
そして、うねうねとした曲線を描く雲の向こうにある天竺が、こちらを見て楽しそうに手招きをしています。


写楽を送り届けるに相応しい絵でした。


「ありがとう」


お礼を言って制作に取り掛かりました。
とても微力ではあるけれど、どうか安らかになってほしい。



人が作った作品というのは、命が芽生えます。
どこにでも等しく生命が誕生する。
そして、さまざまなお役目を通して個々の役割を担っていく。

それは地上にあるもの全てがそうであって。


ここまで紆余曲折ありながらも、今尚一層と輝き存在し続けていく写楽の絵は、奇跡の賜物であって。

歴史的にみても作品そのものを見ても

「今までも、これからも、本当にお疲れ様です」

と、敬意と労いたい気持ちで一杯でした。


絵が完成しました。

タイトルは
「さよなら写楽」

祈る「手」と語る「目」

祈りは真実を語る

彼らだけが知っている写楽の真実

そして、梅吹雪とともに自身の身体が消えていく



今回の使命が終わったのだなと感じました。

ありがとう。
さようなら写楽。












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