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古き良き平成、ひみつの秘書室
いままでに三度、転職をした。
前の記事で書いたのは2社目と3社目の間だ。
それ以外は一応、キャリアアップのための転職で、特別ネガティブな理由があったわけではなかった。
(もちろん留まらないことを決意するに至った事情はいくつかあったが)
新卒で入った会社で私は、秘書室に配属された。
平成どころか昭和を引きずりまくった保守的な企業で、新卒での秘書室配属は異例中の異例だった。
なぜか。
私の出身地がとある政党の重要選挙区であり、私の父が地元の高校のOB会長を務めていたからだ。
「この子は〇〇の出身でして」と言うだけで、付き合いのある団体との集まりで座持ちがするというわけだ。
面接で自分から申告したわけではない。
そんな需要があるなんて、20歳の私が知るはずもない。
出身地を見た人事部が調査をかけ、入手した情報だった。
入社のきっかけからきな臭さがすごいが、踏み入った秘書室はより一層秘密めいて、まさしく魑魅魍魎の世界であった。
秘書はほとんどが男性で、女性は私を入れて2人だけだったので女の念渦巻く大奥的なものではない。しかし、男の念は渦巻いていた。
特別な対応がなければ全員で週刊誌や新聞を読むのが業務と言っても良く、多忙な部署ではなかった。
暇な集団がなにに楽しみを見出すかと言えば、いじめかセクハラ。
当時はセクハラという概念がまだそれほど浸透しておらず、意味は知ってはいても強姦レベルじゃないとセクハラじゃない、というくらいの甘さだった。
毎週月曜の朝は大量の小切手に社印を押しつづける業務があり、それに小一時間かかる。
その間ずーっと、社長に「昨日は彼氏とどうやったか」という質問をされていた。
最初こそ馬鹿正直に「彼氏いません」などと答えていたが、そのうち慣れて「48手はやりつくした」とか言っていた。
社長はおじいちゃんで、もうとっくに枯れていたけど、そういうのが活力になるらしかった。
社長のためのエッチな雑誌を買いに行くのも私の業務で、これだけは恥ずかしかった。
日経新聞などの主要新聞はすべて宅配でとっているのに、なぜかスポーツ新聞だけは買いに行かされた。
宅配のスポーツ新聞の場合、家族が目にすることに配慮してエロ欄がないためと知ったのはそのときだ。
エロおじいちゃんだったが財政界への影響力は大きかったようで、
毎日のように「永田町おじさん」(たまにおばさん)たちの訪問を受けていた。
有名でパワフルな人ほど一人でやってきて、
誰だかわからない小者に限ってぞろぞろと秘書を連れてきていたのは面白かった。
数えきれない政治家たちを応接にご案内し、お茶を出し続けたけど、小娘の私に向かって腰を上げて笑顔でお礼を言い、「今年の新入社員ですか」などとスモールトークまでしてくれたのは、誰でも知っている超有名政治家のおじさまただ一人だった。
「一人の有権者も無駄にするまい」という姿勢に
ここまでのし上がる政治家の神髄を見た気がした。
その方とはその後、何度か会食(の末席)でご一緒したが、メディアでよく見ていた悪そうな表情はまったくなかった。
どちらかというと温和なえびすおじさんのイメージしかない。
もちろん、私たちに見せていたのが阿修羅の一面に過ぎないことは否定しないが、いつでもどこでも悪代官みたいな言われようはちょっと気の毒であった。
いまでもちょっと応援している。
表もあれば裏もあるのが政治家。
ただし、秘書室には「どっちかというと裏が表」みたいな人も訪れていた。
が、長くなってきたので次回に分けます。
To be continued…