秘書室では、人事異動がほとんどない。 メンバーが変わる場合として想定されるのは、よほど強い希望があってよその部署に行くか(まずないが)、社長に「あいつはいやだ」と言われてはじき出されるか、定年を迎えるのかの三択のみだ。 秘書室員はたいした技能を必要としないわりにエリート扱いで、一度配属されたらしがみつくのが基本だった。 入社してすぐ男性の先輩に言われたのは、「下(秘書室はビルの最上階にあった)に行ったらほかの社員と口をきいてはいけない」だった。 だらだら世間話をしたり
前回の続きです。 政治家や官僚が日々挨拶にやってくるという、まあまあのゴージャスみがある秘書室であったが、その企業自体はいわゆる中小だった。 優良企業だけど、有名企業ではない。知らない人の方が圧倒的に多いと思う。 ただ、社長が日本で指折りの資産家だったのはまちがいない。 持っていた不動産は日本国内にとどまらず、世界の一等地に巨大なビルを いくつも保有していた。 控え目に言って途方もない大金持ちだった。 早い話が、会社はその一家の資産運用管理をしていた。それで何百人と
いままでに三度、転職をした。 前の記事で書いたのは2社目と3社目の間だ。 それ以外は一応、キャリアアップのための転職で、特別ネガティブな理由があったわけではなかった。 (もちろん留まらないことを決意するに至った事情はいくつかあったが) 新卒で入った会社で私は、秘書室に配属された。 平成どころか昭和を引きずりまくった保守的な企業で、新卒での秘書室配属は異例中の異例だった。 なぜか。 私の出身地がとある政党の重要選挙区であり、私の父が地元の高校のOB会長を務めていたから
突然死について、個人的な経験を書く。 つきあっていた人が吐いて倒れて、もう意識は戻らないと言われて人工呼吸器を止めるまで、ずっとその場にいたのに、涙が出たのは翌日になってからだった。そばにいる人間さえ突然死を受け入れるのにこれだけ時間がかかるのに、本人なんかさっぱりわからなかったに違いない。 のんきな死に顔はいまでも忘れられない。魂を探すように少し開いた口はカチカチに固くて、現実感がまったくなかった。 こんなふうに突然、人生が終わる。彼を喪失したことと同じくらいショック
自分とは何だろうとここのところずっと考えている。 40を過ぎてなお、自分をいまいちプロデュースもマネタイズも、 もっと言えば趣味として成立させることすらできていないことが腹立たしいのである。 私は創作や表現に喜びを感じる性質がある。それはわかっている。 ものを知らない自分を恥じ、インプットしなくてはと映画や本や音楽にひたってきたけれども、アウトプットする爽快さに較べると、「知る快感」というのはあまりに小さく、地味である。 ただし、アウトプットにおいてもまた、貯蔵された知