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補聴器を相棒にして
片耳難聴のわたしは左耳にいつも補聴器をつけている。
イヤーモールドのついている耳掛け型の補聴器は、朝起きてからお風呂に入るまでほとんどわたしの体の一部になる。
突発性難聴の治療が終わって、聴力が固定してしばらくしてから補聴器の話が出た。
高音急墜型の一側性難聴のわたしの聞き取りを補聴器がどれほど助けてくれるのか未知数ではあったけれど、ものは試しということで試してみることにした。
補聴器外来で補聴器屋さんが初めてスイッチをオンにしたあの瞬間をわたしは今も何度も思い出す。
ずっと眠っていた左耳に音が入ってきて、久々に左側の世界が戻ってきて、その日は一日ルンルン気分だった。
しかし補聴器が相棒になるまで、そこからの道のりが長かった。
ずっと音を聞いていなかった左耳に外の世界はうるさすぎて、調整を変えるたびにしばらくは変わったきこえに慣れるのが大変だった。
わたしに必要な音量で高音を入れるとハウリングが頻発し、左側の髪をかいただけでハウリングがなってしまうようになった。
補聴器屋さんや先生と相談しながら、目立ちにくい耳掛け型のRICタイプからパワーのある大きめの耳掛け型にして、イヤーモールドを作った。
どこまであげれば1番聞き取りがいいのか、どこからはただうるさいだけになってしまうのか、そのラインを毎回探りながら、半年近くかけて今の調整にたどり着いた。
より目立つタイプの補聴器にすることに抵抗が全くなかったわけではないが、その選択に後悔することはあまりない。
自分で決めたイヤーモールドと補聴器の色をいろんな人が褒めてくれるうちに、ますます自分の補聴器を気にいるようになった。今では補聴器の色に合わせて服を選んで楽しむこともある。
補聴器が目立つおかげで、何かあったときに難聴があることに少しでも気づいてもらいやすくなること、補聴器を指差しながら難聴を話しやすくなることはわたしにとってとても大きなことだった。
どっちがきこえないのか周りも忘れてしまうからこそ、「わたしの場合は補聴器がない方から話しかけてね」とお願いできるのもとても便利だ。
結局、補聴器をつけたとて、難聴側からの聞き取りは2が4になるかならないかくらいの不十分なものだ。言葉を聞き取れるようにはあまりならなかった。
けれど、耳鳴りがましになって、つけていないときより音が入るおかげで車や自転車の多く通る道を歩くのが少しだけ怖くなくなる。
魔法のように聞き取れるようにはしてくれなくても、一生懸命わたしのもとに音を届けてくれる補聴器はかわいい相棒になった。完璧じゃないからこそ、一緒に頑張る相棒になったんだと思う。
水には弱いし、電池は冬だとすぐなくなって寒さにも弱いし、ちょっとチューブが短くなったくらいでハウリングは増える。
まったくもって手のかかる相棒である。
それでも補聴器は、滑舌の悪い先生の授業も、初めての大きな場所での発表も、部活の飲み会も、どんな時も一緒にいてくれた。
難聴のせいで疲れることも、新しい場所に行くことがちょっと怖くなることもあるけれど、補聴器を相棒にして、今日も出かけて、今日も誰かの言葉を聞いていたいと思う。