インクルーシブ教育

■ 普通学級の現状が問題なのだ
・普通学級過度に競争的である。障害児に限らず不登校やヤングケアラーや外国籍の排除されやすい子どもたちにも厳しい。普通学級が窮屈、仮面を被らなければ。しんどい。均一的ということか。
・知的障害を持つお子さんの保護者のTさん。学校との面談が恐怖、面談のあとに寝込んでしまう。特別支援学級・学校の良さを主張する人たちへ。普通学級が現状のように「極めて大いに過度に競争的」でなくなったことを考え、どの子も安心して通える普通学級にしていきたい。ともに作っていきましょう。権利条約では「重度の障害」という言い方はしない。これは医学モデル。「集中的な支援を必要とする」と表現する。
・特別支援学級・学校の良さを主張するのは、普通学級の現状という前提がある。差別される、そこに通わせたら虐待になるというレベル。
・高等教育が日本は保障されていない。
・合理的配慮の不備によりたとえば親の同伴が必須になってしまう。日本は学校への通学支援に乏しい。アクセスのバリアフリー。大阪の美濃市のみ。
・障害はハンデでなくその子らしさ。ふつうに共存するという考え方で、特別支援学級・学校の存在価値を認めてという発想はなくなるはず。うちの子どもを守って、という発想から、個性、障害を長所に変えるような環境、制度、社会を変える。自立からの「自律」はすべての子どもに必要な学力です。

■ 権利についての問題なのだ
・すべての選択肢が保障されている上で、特別支援が選択できているならよい。障害者の権利が確保されていないところでの選択は危うい
普通学級を選択する権利は保障されていない 拒否される
特別支援を選択する権利は保障されている。
・普通学級の選択の権利がない現状で、特別支援の選択の良さを言われても
・教育の方法とか条件ではなく、インクルーシブ教育は権利の問題。
・Uさん。地域の学級の方がよかった。地域に住んでるから。理解しあえるのではないかなと思う。もっと勉強できたんではないか。英語ができなくても周りにお願いする力があれば生きていく力があれば。このような生きる力は健常の中でつくのではないか。Uはこんな奴や。誰かが手伝わなきゃという感じになる。それがないと、障害者は施設にいった方が幸せだという発想になってしまう。だから自分は地域でで育つことを大切にしたい。
・インクルーシブ教育が、教員養成課程カリキュラムに入っていない。
・インクルージョンという概念は1992はじめてタイの会議で出されたが、そこでは多様な子どもたちが想定されていた。個性が最優先で制度を変える。
・教育に限らない、社会的課題である。障害者分離・精神病等の強制入院、収容施設のような発想という日本社会の現象にリンクしている。やまゆり園の事件を引き起こしたのは、植松という特別な一個人の行為ではなく、分離という社会的背景がある。
・ともに学ぶことで、普通学級の周りの子ども同士が学び合い成長するという点は合理的配慮についてばかり共著ぅさつれるが、大切な点。建設的対話などには含まれないが。
・文科省は無視する、427も撤回しない。教員配置が多い→お金の問題になってしまう。食い違いがある。ハフポスト キムさん
・髪をどピンクに染め権利グループにアピール

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