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小説『天気予報士エミリ』が「群像」7月号に掲載されています

 何をしたわけでもないのに6月も2週目に入ってしまって、このようにして何をしたわけでもないのに1年は終わっていくのだなと考えていたらかえってぼんやりして、何かをするために気を張っている状態と、そうではなくてぼんやりしている今の状態のどっちが正気なのだろうかと考えていた。

 ふだんは気を張って生きているような気がするのだが、ふとしたときにぼんやりすると、やはりこちらが本当なのではないかという気がして、生活の勝手が解らなくなるように思う。

 さて、とはいえ何かをした結果、だからだと思うが小説が「群像」7月号に掲載された。

 『天気予報士エミリ』という題の中篇小説である。「天気予報士エミリ」という題を使うのは実は2回目で、私の第二詩集『ASAPさみしくないよ』(思潮社)の冒頭に収録した詩の題が「天気予報士エミリ」だった。

 詩と小説で内容は別にリンクしていない、と思っていたのだが、群像の目次に掲載されている『天気予報士エミリ』の紹介の文を読んで、無意識的にはリンクしていたのだなといまになって気がついた。その文章とは、

 空想という世界線にワープして、わたしはいまを生き延びる。本当のわたしはどこにいるのだろう。

 というものなのだが、これはそのまま『ASAPさみしくないよ』の紹介に使えそうな文章である。本当の自分には実態がない、というのが無意識的なテーマなのだろうか。そういえば、初めて「ユリイカ」の投稿欄に掲載された詩のタイトルも「僕は現実を生きていない」であった。

 小説『天気予報士エミリ』の主人公エミリは、お天気キャスターになってメジャーリーガーと結婚するというあり得たかもしれない誇大な世界線を空想しつづけるが、現実の世界では内科医で、マッチングアプリ、転じて出会い系から抜け出せないアラサーである。

 あまりあらすじを書いたり解説を書くと薄ら寒いような気もするのでこの程度に留めておくが、気になる方はぜひ読んで感想などを呟いてくださると励みになるので嬉しいなと思う。

 とはいえ、「稚拙で人間が書いたものとは思えない。幼稚園、いや3歳児健診からやり直してはどうか?星一つ」みたいな感想だと心が折れ、「枯葉のステーション」という松井玲奈さんのソロ曲を歌いながら北関東の方角に列車で旅立ってしまう恐れがあるので、そのような感想を抱いた場合は、心の中で星一つをつけてくださると幸いである。

 さらに、空想にワープしなければ生きられない、本当の自分がどこにいるのか分からないという話は、8月に刊行する『偽者論』(金原出版)とまさに世界観を同じくしており『天気予報士エミリ』と『偽者論』は表裏の関係にある書物である。

 『天気予報士エミリ』を読んで良かったと思ったらぜひ『偽者論』も読んでほしいし、このnoteを読んでいて『偽者論』に期待してくださっている方もぜひ『天気予報士エミリ』を読んでもらえると嬉しいです。

 では「群像」7月号、『天気予報士エミリ』をよろしくお願いします!





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