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就活をしながら思うこと

26卒の私は留学中とはいえ、就活真っ只中であり、帰国後に行われる秋冬インターンの準備に日々追われている。
志望企業の夏インターンがすべて対面実施だったため留学中で参加できず、帰国後の秋冬のインターンに賭けているからだ。

インターンに向けてESを書いたり面接練習をしていると、ガクチカとその再現性の明確化が必要になる。
ガクチカとは「学生時代に力を入れたこと」の略で、再現性はガクチカの成功体験と同じような結果を入社後も出すことができると示すことだ。

私のガクチカの1つはもちろんこの1年の交換留学で、そこから得た学びやその学びを今後どのように活かせるのかをちょうど今言語化しているところだ。


ガクチカを書きながら、高校2年生で受けたある授業のことを思い出した。

現代文演習という選択科目で、生徒1人1人が自分らしさを表すものを持参してそれについて3分間スピーチをするという授業だった。
ほとんどの生徒が自分の原体験になっている出来事に関係したものを持参し、そのエピソードから今の自分がどのように形成されてきたのかを話した。
私もそのうちの1人で高校1年生のときに留学した際のホストファミリーからもらった手紙を持参し、短期留学でどのように自分の考え方や価値観が変わったのかを話したような気がする。

先生はそれぞれのエピソードを微笑ましそうに、そして興味深そうに聴いていた。

クラス全員がスピーチを終えたあと、

「過去の出来事がすべて意味を持っていると思わなくてもいいし、そこから無理に学びを得ようとしたり今の自分に無理に繋げたりしなくてもいい。
何かしら学びがあったり成長できる出来事もあるけど、そうじゃないときの方が多いから、無理に意味を見出そうとしなくてもいい。
意味づけをすることで幸せに感じるならすればいいし、そうじゃないならする必要はない。」
と先生は言った。

私の学校では毎学期、どのような出来事を通じてどう成長したのかを書く決まりになっていたり、行事や講演があるたびに「〜を学ぶことができました。」という挨拶をしたりという風潮があり、出来事からどう学んだのかを考えるのが当たり前になっていて疑いもしなかった。

しかし、このときのこの先生の言葉で物事に意味づけをして価値を勝手に決めているのはすべて自分自身であり主観でしかないということに気付かされた。


就活をしているとガクチカやそこからどのような学びを得たのか、どのようにその学びを今後活かせるのかなど、特定の出来事や経験に対する意味づけが必要になる。
日本で就活をする以上、このような質問は避けては通れないし考える必要があるのはわかっているのだが、就活をするたびに先生のこの言葉が頭をよぎるのだ。

過去の経験がどれだけ自分に影響しているのか、どれほど自分を形成しているのか、自分でもわからないことが多いが、意味づけをせず客観的にかつ断片的に物事を眺めることができれば、そこにとらわれることなく楽に生活できるのではとも思う。

出来事を1つ1つ解釈して意味付けしているのは自分なのにそこに振り回されてしまう滑稽さを就活が終わるまでは感じ続けるのだろうなと思う。

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