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歪で、あれよ。
いびつ。先日買ったパンの可愛くなさに
ざわざわしてしまっている。
彼ら、彼女か。
人間で言えば異端児である。
「しましま」という、普段は190円のパンを買う勇気が湧いてこない。
娘に見せてみたが嫌悪しか示さず
未だに買えないでいる。
仕事終わり、私は「しましま」に逢いに行く。
今日は5人の「しましま」が、ちんまりとこっちを見ていた。
いや、私がチーズたっぷりのパンを買うのを見ていたかもしれない。
いびつ。歪んでいる事という意味だが
別に歪んでいる訳ではない。
なんだか、申し訳なくもなったり小麦の塊に思うほどだ。
どうしても、パンを作った人にインタビューしてみたい気持ちが止まらない。
デザインする時「コンセプト」を考えて‥聞かれたら「何となくかわいいからです!」と答えたら商業デザインで許されないわけだ。
私もいびつな生き物なので、「しましま」に惹かれながらも「脊髄」に名前を変えた方がバズるんでは?と思いながら日々を過ごす。
人もパンも歪だから、愛おしいのであって
間違いだらけのまま生きていくんではないか。
娘が悩んでいる時、「みんなと違っていいよ」
と、簡単にいうが学校という現場にいる彼女はそうはいかない訳である。
女子はより、協調性が必要である事を強いられる。
娘の吐露を聞くと清竜人の「胸が痛いよ」現象が起きる。
それでも、私は歪であれよ!と彼女に強く思う。
子は分離した1人の人間であり尊重すること。
これがなかなか難しい。
大抵の親は表層の子供の発言を鵜呑みにする。(嘘をつくのはちなみ、成長。)
尊重するあまりに、過保護になり排他的になりうる。恐ろしさ。
親権者は私1人なので、わからない事は公的機関に相談している。
(最寄りのはぐぐみ室でも保健師さんが親身になってくれるシステム。)
思春期が来て、「うっさい親」になるまでは
まだ時間がかかりそうである。
わたしは、「しましま」レベルでいびつな親だと素直に自覚している。
だからこそ、毎週一回50分「親」という得体の知れない物と向き合う。エネルギーは使うし、「過ち」に気づき落胆することもおおかった。(最近)
自己肯定感については、以前も触れたが
必要がない。自己受容できればそれらは一切棄てて良い事に気付いた(今日)
クローズ度された家庭という空間の中で、定規を持って走りまわるのか。節分の鬼ならまだ出番は早い。
「しましま」の名前が「脊髄」に変わるぐらい革命的な事などないのだ。
ここまで書いていて気付いたこと、
「しましま」は「ZAWAZAWA」でもいいかもしれない。
私達デザイナーは、常に「なぜ?」がつきまとう生き物なので白黒は要らないが「ざわざわ」するのが好きな生き物だと本日の気付き。
できる限り、小学生からの夢だったデザイナーで居続けられるように「しましま」を見習ってゆきたいと思う。
「しましま」、お前はそこにいてくれ。
歪で、あれよ。万物全ての人間よ。
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