「水曜どうでしょう」が面白い理由。信長の原理(下)(垣根涼介著)を読んで
行き過ぎた効率主義の果て(P202)
(梟雄松永弾正久秀の最後。何故信長を裏切ったのか語る)
「あの男(信長)は、ありとあらゆるものに効率を重視しすぎる。そして効率をとことんまで極めていけば、人も草木も、おおよそ生きとし生けるものは、すべてが息をできなくなる…。だからこそ、あの男の世界ではすべてが膨張し、次に疲弊していく。ゆっくりと色褪せ、崩れ落ち、やがてその内部から、個々の組織の自壊が始まる。(中略)おそらくは正気で生き残るのは信長一人だ。最後にはその終末の世界で一人だけ突っ立っている、寂しい限りの存在だ。すべての者から畏怖されるだけで、誰からも愛されぬ男だ。」
加増(昇給)に対する将の姿勢(P254~255)
(光秀、放逐された織田家筆頭家老佐久間信盛が石高加増分を結果的に、自らの懐に入れていたことについて語る)
「加増され、それを謹んで受けるということは、兵団の長としてその加増分の武功を、主君に対して先々で請け負うという黙契に他ならない。(中略)主君から貰った加増分は、自らの懐に入れるためのものではない。それを原資として、さらに兵団を強くするために与えられているのだ。その一事をいつの間にか置き忘れただけでも、信盛には、既に筆頭家老としての資格はない。」
危機察知能力(P265)
(明智光秀信長について語る)
「この主君が一見、粗暴で攻撃的な性格であるという印象は一貫して変わらないが、その実、それらの外面的特徴を形作っているのは、内面にある細心なほどの自己保存の感覚である。森の中で危険をすぐに察知する小動物さながらだ。その防衛本能で、様々な事象や身の回りに起こる現象を、常に用心深く捉えつくしている。」
働き蟻の法則の答え(P394)
(本能寺。死を前に信長はあらゆる生物は、働き者ばかり集めてはやがて働かなくなり、逆に駄目な者ばかり集めても、やがて働くようになるのか。長年の疑問に答えを見出す)
「復元する力だ。他の生き物同士の拮抗を、常に均して維持しようとする。ある特定の生物だけを、この世界に突出させない。それ以前の状態に絶えず戻そうとする。人もまたそうだ。優秀で忠実な人間ばかりが存在する状態を、常にこの世から排除しようとする。その無言の圧力が、あまねくこの宇内を覆っている。(中略)おそらくは天道などと昔から呼ばれているものだ」
信長の原理(上下巻)読了のメモ・感想
・多様性の話につながるのではないか。あらゆる生物は、本能として、種が一つの方向のみに進むことを抑えているのではないか。
・2:6:2という働き蟻の法則は、確率の問題であって、全体の8割が生きるために動いていれば種(集団)の保存に成功する見込みが高くなるということではないか。後の2割は、万が一8割に重大なトラブルが生じたとしても、種の絶滅を避けるための控え、バックアッパーとして機能しているということではないだろうか。
・とどのつまり、集団全員が一つのことに一生懸命になりすぎる(働きすぎる)ということは、その集団が間違った道を突き進んでしまった場合、全滅する恐れが高くなってしまう。そういった本能的な危機を集団が無意識のうちに、コンセンサスとして認知しているということになるのではないかという、予想。
・面白かった。同著者の「光秀の定理」も読んでみたい。
・水曜どうでしょうが好きなのだが、何故面白いのか。それは大泉・鈴井・藤村・嬉野の4名が、企画や場面ごとに、働き蟻1名・普通の蟻2名・ダメな蟻1名にきれいに別れ、いうなれば自然の原理に従っているから、見るほうも無理なく見れるのでなないかという推察。発見。