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『あなたへの贈り物』

 原付のくせに、愛車、リトルカブの速度計の針は大きく振りきれていた。六十キロ超過。お巡りさんに捕まれば一発免停である。

 それでも僕は頑なに速度を落とさなかった。特段急いでいる訳でもなかった。しかし、グリップを強く握り込んだまま、決してアクセルを緩めようとはしなかった。僕は一体何を急いでいるのだろう。道路の落葉を巻き上げながら、走り去っていく秋を追いかけているかのような錯覚にとらわれていた。

 ☆

 先日、彼女と別れた。秋に別れるなんて中々ロマンティックだと思った。ただ、僕としては 彼女との結婚を考えていただけに、少なからずのショックを受けた。別れ話を切り出したのは彼女の方だった。何故別れたいの?そう問いただしたら、「あなたのことがわからないから」と言われた。七年も付き合って、わからないとは何事だと思ったが、よくよく考えてみると、僕の方も彼女のことを何一つ知らなかったのだからお互い様だと思った。

 ☆

 ダムの麓に差し掛かると、いよいよ秋は繁栄をしていた。
 紅葉の美しさにいったんバイクを路肩に停めて、休憩をすることにした。近くにあったベンチに腰かけて、CDプレイヤをとりだす。大バッハの教会音楽が流れ出した。そして何故だか無性に本を読みたくなった。しかし残念なことに鞄の中には、友人から押し付けられた、無名の詩人の詩集しか入っていなかった。
 そのなかの一節。

エルビスプレスリーは死んだ。
マイケルジャクソンも死んだ。
そして、私は生きている。

 僕は本を閉じた。


 再びバイクを進め始めると、程無くして、大きな駐車場に出た。バイクではここまでだ。ヘルメットをバイクにくくりつけて、舗装された山道へ向かう。その駐車場の隅、ハーレーに皮ジャンを着込んだ、ツーリング中の夫婦が困り果てた風に座り込んでいた。声をかけてみると、なにやらエンジンの調子が良くないようであった。そこらへんのことにはなぜか詳しい僕は、微力ながら助太刀をした。見事にエンジンは復活した。
 するとなぜかお礼にと、その先の茶屋で蕎麦をご馳走になった。中々の美味だった。

 ☆

 再び彼女の話をしよう。彼女を初めて抱いた時の話だ。
 当時童貞だった僕が、彼女を抱いた日。言を直に表すなら、彼女の処女を頂いた日。僕は脱したという嬉しさというより、むしろ一人の清純な女の子を汚してしまったという罪悪感で一杯であった。
 今考えてみると僕はその時の負い目をずっと感じて、彼女に接してきたのかもしれない。
 彼女の部屋の。
 甘い香りのする彼女の寝具の上の。
 あの苦悶に満ちていながらも、どこか恍惚としていた、彼女の表情を、僕は生涯忘れることはないだろう。

 塞き止められていた秋が山頂から流れ出ているかのようだった。ダム周辺の山々は山頂から麓に行くにつれて、その紅葉の濃淡をみごとに表現していた。
 
 このダムにはとある逸話がある。それは湖底に沈んだ村の人々の話だ。
 ダムの建設に当たって、村が一つ湖底に沈むことになった。十世帯ほどの小さな村だ。立ち退き交渉は難航するかに思われたが、多額の補償金と、不便な村の生活にうんざりしていた村人の意向もあって、すんなりと話はまとまった。そして、その後は何の問題もなく、無事にダムは完成をみた。
 
 ところがその完成式点の際、かつて村に住んでいた老夫婦が突然、ダムに身を投げたのである。直ぐ様救助され、一命をとりとめた二人であったが、なぜ身を投げたのかと問いに、御先祖様が村を捨てたことを批難し、毎晩枕元に立つとのことに耐えられなくなったと答えた。
 しかも、同様の症状はこの老夫婦だけでなく、村を捨てた他の人々にも見られたという。
 それまでに土地というものには、人々の思いが詰まっているものなのだ。各も人の想いほど恐ろしいものはない。

 湖畔に腰かけて、僕は鞄の中から、洒落た小箱を取り出す。中には銀座のショップで買ったエンゲージリングが二つ入っている。
 僕は苦笑いをした。
 安月給のくせに無理をして。好きかもわからない女のために指輪を買って、結婚しようだなんて、我ながらとんでもないことをしでかすところであったものだ。
 ふたを開けまず一つを、彼女のために作られた七号の指輪をダム湖に放り投げる。指輪は光線を受けて、一瞬だけきらりと最後の輝きを見せて、大きな放物線の彼方へ消えていった。二十五万円。ぽしゃん。
 僕は立ち上がって、小躍りをした。
 そして次に、自分用の十六号の指輪。同じく。さっきよりもちょっとだけ高めの軌跡を描きながら、そしてこれまたお値段高めの断末魔をあげて。ぽしゃん。二十七万円。ぽしゃん。
 バイバイ。僕はそう呟いて、ただぼんやりと湖を眺めていた。

 家に帰宅したのは、もう日付が変わろうかという時間であった。
 まず先に風呂に入ろう。この冷え切った体を温めよう。そう思い、風呂を沸かしに行った。そして、リビングに戻る途中に気が付いた。電話が光っている。留守電がはいっているのだ。
 二件はいっていた。
 一件は、なんとか教とかいう、宗教の勧誘の電話だった。驚くべきこと十五分間の録音がなされていた。神を信じないものは地獄に落ちる。半ば脅迫じみた声高な女性の留守電を肴に、僕は缶ビールを痛飲した。
 もう一件は彼女からの電話であった。
 会って話がしたい。そういった内容であった。
 僕は少しだけ悩んで、「It is no use crying over spilt milk.」とだけ呟いて、風呂に入ることにした。
 というよりも、ただ折り返し連絡をするのがめんどくさかっただけなのである。

 僕は。笑っていられればそれでいいのだ。

(了)

PS.失恋の話でよかったのか。疑問に思いながら投稿してみる(笑)

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亀山こうき/俳句の水先案内人
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