戦後70年、稚内から船でロシアに渡った話
2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻した。
遡ること70年以上前、1945年8月。ロシアは日本の南樺太に侵攻している。第二次世界大戦の終戦数日前だ。
そして1945年8月15日、日本が降伏して第二次世界大戦は終結する。日本はサンフランシスコ平和条約にて南樺太の権利を放棄し、ソ連が所有を主張する場所となった。
稚内~コルサコフ
2015年8月13日。東西冷戦が終結した平成元年に生まれた私は、札幌発の夜行バスに揺られて眠い目をこすりながらパスポート片手に稚内国際旅客ターミナルにいた。
「祝」という文字に友好的な雰囲気が感じ取れる。2015年はそういう時代だった。
船に乗り込み出航すると、水よりビールが安い。ここはチェコか?と一瞬錯覚する。酒税が免税になるとこんなにもビールが安くなるという現実を知る。
朝9時過ぎだというのに乗客のほぼ全員がビールを飲んでいる。チェコでもおそらくこんな風景は見られない。男も女も黙ってサッポロビール。
日ロ中間ラインを超えたとの放送が入った。国境を越えたのにまだソフトバンクの電波が入る。それくらいロシアは「近い」。
5時間かけてコルサコフ港に到着。そこからバスに揺られてユジノサハリンスクへ向かう。
ユジノサハリンスク
ユジノサハリンスクへの途中、サハリン最大のショッピングセンターに立ち寄り。
プリクラは万国共通。
駐車場には右ハンドルの日本車がズラリ。ロシアは右側通行なので、一般的に販売されているのは左ハンドル車のはず(そもそも左側通行の国は日本、イギリス、タイ、オーストラリア、ニュージーランドくらいしかない)。おそらく北海道から中古車を輸入して乗っているのだと思われる。歴史的要因というよりは地理的要因と思われるが興味深い。
どこか忘れたけど広場。胸像はおそらくソ連時代に活躍された方だったと思う。
そして今回の旅の最大のハイライト、サハリン州立郷土博物館。
日本風の建物なのもそのはず、かつてここがサハリンではなく樺太、ユジノサハリンスクではなく豊原市と呼ばれていた頃、樺太庁博物館として使用されていた建物がそのまま使われている。
終戦後の1945年8月24日、ソ連軍に接収された後はサハリン州の博物館となり現在に至るとのこと。
閉館時間に間に合わず、中は見ることはできなかったが外には戦車の展示があった。当時の日本軍のものと思われるものも。
この博物館の存在が「ここはかつて日本だった」ということを気づかせてくれたが、ここまでの道中は完全にロシアで、70年経つと完全に別の国になるんだなという感想を持った(そもそも南樺太が日本領になったのが日露戦争後の1905年のため、元々ロシアだったといえばそれまでだが)。北方領土おそらく同じような感じなのだろう。
そしてこれは今のウクライナにも重なる話となる。かつてウクライナとして独立し、第二次世界大戦後ソ連の一部となり、冷戦後にウクライナとして独立。そして30年ほど経ったところで侵略されている。ここで守りぬくかどうかでサハリンや北方領土のような未来になるのかどうかが決まるということか・・・と思う。
後は普通の旅行記です。
ユジノサハリンスクの町並み。後ろに見えるのはソ連っぽいアパート(フルシチョフカと呼ぶらしい)。海外の道路標識を撮るのが好きです。
ホテルディナー。サラダ。普通に美味しかった。
こちらもホテルディナー。サーモンとマッシュポテト。サーモン美味しかった。
船でコルサコフ港に出入国したスタンプ。最終ページに押された。