だらよめ
自分語りnoteです。個人情報が含まれるものは有料記事になっています。
不妊治療の心境とか。
前置胎盤というハイリスク妊娠出産を経て早5ヶ月。 ギリ早産の36週6日で生まれ、何の心配もなくすくすく育っていると思っていた。 すごい確率の病気を引き当てていると知らずに……! 予防接種~受診0日目:予防接種 生後5ヶ月10日、金曜日夕方にBCG予防接種。今までの予防接種で特に副反応が出たこともなく、コッホ現象の説明を受けても「偽コッホがほとんどってTwitterで読んだぞ・・・」と他人事のように聞いていた。いや他人事じゃないからそれ。 3日目:やっぱり変なので受診→
はじめに2023年に全前置胎盤で女の子を出産。Twitterを検索すれば出産レポは出てくるものの、自分に参考になる情報だったかというと管理入院の有無や緊急帝王切開の有無、正期産か早産か等、人によりあまりにも違いすぎたという感想。 ただ準備や検査については今振り返ると「こうしておけばよかった」と思うことが多々あるので、私の反省を活かしてもらうためにnoteに記すことにした。 プロフィール出産時34歳 初産婦 体外受精にて妊娠 2022年8月採卵、10月移植×、11月移
昨年の1月、流産手術にて給付された保険で指輪を購入し、note書くぞ!と意気込んだまま1年が経った。 その1年間で再度妊娠することができ、無事出産に至った。 しかも予定帝王切開だったので、また保険金が下りた。1年前には予想していなかったが、保険金リングが計3本になった。 2022/12/24 給付額50,000円給付対象:子宮内容除去術 入院日数:日帰り BIZOUX タンザナイトK10リング・ジュリ この時に妊娠していた子の出産予定日は2023年8月4日だった。
独身時代、集めていたポイントがあった。 35回遊んだらもう4回遊べるドン!のアレである。 何の話かって? ここからは18歳未満禁止のコンテンツです。
この記事を読んで、8年前の今頃に函館に一人旅をした時にふらっと屋台に入った時のことを思い出した。 入ったお店のマスターは当時の私より年下の海上自衛隊OB。 最初は店内は私1人だったが、ちょうど海自の戦艦が函館のドッグに入っているらしく、高校の部活の後輩とその同期がこの後遊びに来るとのことだった。 その後海自メンズが来店。会話の中で出てきた「高校の後輩が自衛隊に入る」「親も自衛隊」というところに私はちょっと驚きと気づきがあった。 海自の彼らの出身高校は東北の自衛隊の拠点
早いもので、不妊治療デビューして1年が経った。 上記の記事の後の妊娠判定では妊娠しておらず、11月に再度凍結胚移植をした。グレードは5AB。 君と過ごしたDecember2022/11/26 4w1d この日の妊娠判定で、初めて陽性となった。 体外受精の場合は採血でHCGというホルモン値を測定し妊娠判定をする。採血から1時間ほど経って診察室に呼ばれると、机の上の紙にはHCG 47.3という文字が記されていた。 先生いわく、妊娠はしているが、今日の時点でこのホルモン値
私の中で最もバズったツイート。 毎年11月になるとこのツイートを掘り返しているが、「どうやってここから結婚に至ったのか?」という質問をよくいただく。 簡単な内容はツリーを見ていただければと思うが、リクエストがあったのでnoteに詳細を書いていくこととする。 非常にプライベートな内容になるので、有料記事とさせてもらいます。 出会い~交際振られた帰り道 私の人生、男性を振ったことはないが男性から振られたことは4回ある。そのうち2回の現場がJR岡崎駅。
自分で見返してもむちゃくちゃなタイトルだ。でも今の心情としてはそんな感じ。 今日、自然移植周期で胚盤胞(受精卵を5日程度育てたもの)を移植した。グレードは6BB。 2ヶ月前に採卵したのと同じ部屋で、私の子宮にあの時採卵した卵子が戻っていった。 体外受精に進んだきっかけ前回の投稿以降、人工授精を3回行った。3回ともダメだし3回目は判定日前からもうこりゃダメだ、と思った。人工授精は一般的に6回やってもダメならもう見込みがないと言われているが、3回目で限界を感じた。 弊社の
夏の甲子園が開幕し、高校球児が連日戦いを繰り広げている。 出身が愛知県なので推しチームは愛工大名電。申し訳ないが「夏の名電=初戦負けのイメージ」が強すぎてあまり期待していなかったが、2回戦も突破してうれしい限り。 そして個人的には、甲子園のブラバン応援で流れてくる曲たちに「あ~あの曲ね~!」と懐かしくなったりもする(私は野球応援はしたことはないが)。 一般人が一番吹奏楽に触れる瞬間が甲子園というのは間違いないが、チアや応援団と違って、吹奏楽部は野球応援のために存在するわ
先日、33歳の誕生日を迎えた。 欲しいものはだいたい自分で買えるくらいのお給料はもらっているので、そろそろ誕生日プレゼントに欲しいものをリクエストするネタも尽きてきた。今考えると本当に欲しかったのは北海道行きの航空券だったのでは……。 正直、去年何を誕生日プレゼントでもらったかも思い出せないが、5年前に自分で買った誕生日プレゼントのことは、たぶん一生忘れることはないだろう。何せローンを組んで198万円のモノを買ったのだから。 弟のど僻地配属大学院を卒業した弟が早速ど僻地
今年から「なんとなく」不妊治療を始めた。 1年間排卵検査薬でタイミングを合わせても成果が出ず、かかりつけの婦人科で一通り検査を受けた。その中で要精密検査項目がありその病院では検査設備がなかったため、かなりガチな不妊治療専門クリニックに転院・そのまま通院して今に至る。 正直「絶対に子供がほしい」わけでもないし、子供がほしいから婚活したり結婚したわけでもない私からすると、子供ができないことよりも、不妊治療を進める中で自分に向き合ったり覚悟を持たされたりする場面が多く、そこで「
※この投稿は、2021年8月にはてなインターネット文学賞へ応募した作品を再編集したものです。 初めてインターネットに触れたのが1999年なので、もう今年で22年の付き合いになる。記憶から掘り起こしたエピソードとともに、私とインターネットについて振り返ってみたい。 インターネットへの だいいっぽを ふみだした!父がSEをやっていたこともあり、1989年生まれの割には小学校に上がるか上がらないかくらいの頃からパソコンを触っていた。また名古屋にお出かけできるという理由で、大須の
2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻した。 遡ること70年以上前、1945年8月。ロシアは日本の南樺太に侵攻している。第二次世界大戦の終戦数日前だ。 そして1945年8月15日、日本が降伏して第二次世界大戦は終結する。日本はサンフランシスコ平和条約にて南樺太の権利を放棄し、ソ連が所有を主張する場所となった。 稚内~コルサコフ2015年8月13日。東西冷戦が終結した平成元年に生まれた私は、札幌発の夜行バスに揺られて眠い目をこすりながらパスポート片手に稚内国際旅客ターミ