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僕が写真を撮る理由

大見出しとかつけないのはごめんさい。

なぜ人は写真を撮るのか?

今を残したいからではない
今という素敵な体験を未来に同じ追体験をしたいので。
きっとそうだろうと思う。

家族との旅行。誕生日、旅行先で、
お友達とご飯を食べに行ったカフェで。
思い出としてこの目で見たものを
カタチとして残したいのです。

昨日は楽しかったな、と
満員電車に揺られながら携帯に入った写真を見返すのです。
その時の心情や感情は画面の中の私や友達と
同じなのです。それが写真を撮る理由なのかもしれません。

僕はというと
仕事でミラーレス一眼カメラを持って撮るという仕事をしています。
なぜ続けられているか、それは単にフリーランスで自由な働き方をしているからではありません。
撮った写真が誰かのためになっているかもしれないと
撮った写真が素敵だね、ありがとうと感謝されるから。

涙がちょちょ切れそうなくらいシャッターを切って子供達を追いかけて
事前に撮影場所を考えて、機材を掃除して、今日も撮るのです。
写真を撮ることに単なるお金稼ぎではなく、社会的意義を見つけているのです。お客様、あるいはクライアントさんに感謝されたら撮っちゃうんです。
そんな単純なやつなんです。
撮った欲しいという思いが撮るという意味なんです。

そんなことは偽善者カメラマンの発言か。。
お金は欲しい。生活があるから。技術にお金を払ってください、その人柄にお金を払ってください。自分だけ特別、自分だけ得したいならiPhoneで自分を撮ればいいではないか。そんなことでいいものだ。

あの人にとってもらいたい、と言ってもらえたら
快く受け入れるし、頭を使って準備して、撮る。素敵な思い出を。貴重な体験をもらってその人にとって素晴らしい写真を納めるのです。

なんて考えたら写真を撮る意味がごちゃごちゃになったので
これでおしまいにしましょう。

フィルムカメラと光がよく感情のまま動かされた
のちにこれは見返す写真ではなく、光って大事だなと思い返す写真
鹿島神宮という由緒ある神社で疲れている男の子
時には止まって休んでもいいと思える写真
春はやっぱり桜だと思って撮りに行った写真
なんか違うなと正直思った悔しい写真。来春はどうするか。


福島県のとある観光地で窓から見えた景色がなんか良くて。
何がいいかはまだちゃんと考察できていない。課題のある写真


長野上高地で広角レンズで撮った写真
彩度強いかなと今でも思っている写真。

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