手放すと色々氣づく紐づけ
昨年年末からかなり時間が経過しましたが、身辺が一段落ついたので書くことを再開しよう。
ここまで色々手放していた。「家」から始まり、身の回りのもの、生活に必要でそばに置いていたものである。そしてついに車を手放した。
わたしの地元では、一軒のおうちの人数分車があると言われるくらいの車社会である。どこに行くにも車を使用し、私自身車なしでの生活は考えたこともなかった。故に今回車を手放すには相当頭を悩ませた。でもある日突然疑問が湧いた。いったい何が手放すことを阻んでいるのか?そう言えばそうだ、何故こんなにも決めあぐねているのか。冷静に考えてみようと思った。
まず、今現在車が必要な生活をしているのか?これは、NOである。ご近所にはスーパーやホームセンター、病院までも徒歩圏内、しかも今失業中の身である。どうしても毎日出かけなければならない訳でもなく、逆にバッテリーや車の調子を悪化させないために気を遣うほどだ。では、この土地に住み続けるつもりであるのかと言われれば、これもNO。実はこの家に引っ越ししてからは、もう少し住環境をがらっと変えて生活してみたくなっていた。だから、引っ越しを考えると荷物は限りなく少ない方がいい。今の現状で車はあったら便利だが、なくても支障ない状況だと判断した。早速車の引き取りを検索すると、今手放すと車の税金が一部還付されるという事が分かった。しかも数日で締め切りと言う状況だった。これは手放すなら早い方がいいというサインではないか?善は急げと手続きを開始した。
手続きを始めると、あっという間に事は進んでいった。しかも必要な書類が期限までにそろわない可能性もあったが、何だかんだと助けられてあれよあれよという間に手続きを完了してしまった。感覚としては、風が吹く(大袈裟であるが、背中を力強く押される感じ)のはこういう事なのか?と思ったほどだ。
近場にスーパーや郵便局、コンビニなどがある。何か特別なことがなければ、日常生活は事足りる。車は所有しているだけで経費がかかる。法定のメンテナンスに始まり、使えば劣化していくので調子を見ながらの修理は必要だし、乗ればガソリン代もかかる。
しかも冬の寒さはバッテリーの劣化を後押しする。正直に言うと、日常必須アイティムでないものを、調子が悪くならない様に管理するのは骨が折れる。特に冬場はバッテリー問題があるから、天気や最低気温、氷点下20℃近い日が続くのか否かなど、気をつけないといざという時にバッテリーが上がって、すぐに使えないしJAFを呼ぶ羽目になる。
しかしわたしの年齢くらいになると、両親もそれなり年齢も上がってくる。子供として近くにいる自分がすぐに対応できた方が良いだろうという思いもあり、車を所有してきた理由の一つではある。諸事情を並べて、考えに考え出した結論は『車を手放す』だった。
いざ『手放す』事を決めると今までの精神的緊張は何だったのだ?と思うほど気持ちが楽になった。そしてあることに気がついた。この時の精神的な安堵感は、自宅を売却した時の安堵感の数倍も肩の荷が降りた感じがした。本来は物件の方がお荷物になりやすいと思う。何がそうさせたのだろうと考えてみただが、紐づいている物が違うのではないかと考えた。
わたしの場合、家に紐づいているものも相当な代物と感じたが、車はそれ以上だったと思う。俗に言うしがらみとも言うべきか。相手は自覚がないと思うが、それなりに念が強いと知らない内にモノ(この場合は車)にその想いがこもる。それが作り手だったり、バイヤーだったり、販売店だったりと様々だろうが、その『想い』がものに紐づいてしまうのではないかと推測する。(確信に近いものはあるけど…)
人の思いを背負って暮らすのは、しんどい事だ。自分のことだけでもままならない時があるのに、コントロールが効かない他人の想い(念)まで面倒は見切れない。相手にして欲しくてモノに付いているのに、一層相手にされない事で状況が悪化する。だから何かとアンラッキーだなぁ、と言う事が多くなる。そういう意味で、セカンドハンド(中古品)は注意が必要だと思う。ちゃんと念が祓われていれば良いのだが、そのまま付いているとアンラッキーまで一緒に購入する羽目になる。
だからわたしは余程気に入らないとセカンドハンドは買わないし、買うとしても品目を厳選する習慣がついた。こういう事が気になる方は、その点を気をつけたらいいのかもしれない。