返校 言葉が消えた日について考える(ネタバレ有)
※映画版、ゲーム版共にネタバレがあるため
今後映画を視聴、ゲームをプレイ予定の方は閲覧をお控え願いたい
先日、映画「返校 言葉が消えた日」を夫と観てきた
私はゲーム版をプレイしたうえでの視聴だったが
夫は全くの初見であった。
私はゲーム版との内容を比較しながら楽しんだが
夫の感想は「女に振り回された挙句の悲劇」と言うものだった
「この映画の面白いところを教えてくれ」と言われたので
少しでも夫が見方を変えてくれれば、と思いこの文章を書いている
まずは私が感じた本作のテーマについて
ゲーム版は「死、罪」の印象が深いが、対して映画版は
「生」についてフォーカスされていると感じる
ヒロインのファンレイシン(以下レイ)が自身が思い焦がれていたチャン先生に冷たくあしらわれる様になり、きっかけとなったイン先生と別れさせる(実際は誤解なのだが)為に読書会のことを密告してしまう
チャン先生、イン先生、ウェイ少年ら読書会のメンバーは逮捕される
クラスメイトからは「チクリ魔」といじめられ、行き場を無くしたレイは自死を選んでしまう
レイの魂は学校を彷徨い続け”記憶を取り戻しては首を吊る”という無限ループを繰り返していた・・・
ここまではゲーム版、映画版同様の内容だ
ゲーム版との大きな違いはウェイ少年、チャン先生の存在だろう
ゲーム版はウェイ少年は早々に離脱してしまうし、チャン先生の存在は後半にならないと明らかにならない
劇場版は逮捕され、読書会について自白をするように拷問されて生死を彷徨い
学校(あの世)に捕らわれたウェイ少年を、レイが救って今生に戻す
意識を取り戻したウェイ少年は、頑なに拒否していた自白をすることを決める
生きていたいと思う気持ちと、尊敬するチャン先生との約束を思い出したためである
結果としてウェイは恥を忍んで生きることを選んだ
そしてチャン先生からレイへの手紙を届ける、メッセンジャーの役割を果たした
「生きて、このことを伝えて」ウェイをはじめ、生き残った人
さらにこの映画を視聴している人に向けたメッセージ
これが本作のテーマではないかと思う
生き残った人について考察してみる
劇場版では触れられていなかったが、イン先生は他国へ亡命している
その後活動家として活躍したそうだ。
50歳で他国で生涯を終え、遺骨が台湾に戻ってきたことがゲーム内の新聞記事によって明らかになっている。
彼女を先述した「生きて、このことを伝える」という点で考えると
一番役割を果たしている気がする
しかしながら映画の中で彼女の生死・その後を書くと本作のメインである
”ウェイが15年の刑期を終えて生きて帰ってきた”ことが霞んでしまうので省略されてしまったのではないだろうか
レイの母は暴力を振るう夫から逃れるため、賄賂の証拠を得て夫を密告した
自身の私欲のために密告をしたレイと通ずるものがある
レイは学校でも親しい友人もおらず、常に一人でいる印象だった
家庭は崩壊し、唯一の心の支えであったチャン先生から冷たくあしらわれ
生きる希望を失う。
レイの母はどうだろうか
熱心な宗教信者であり、夫が逮捕されたあとも「ご加護だ」と微笑む
仮に周りの人から密告者だと後ろ指を刺されても気にしないのではないだろうか
娘の自死に対しても、多少は落ち込むなれど後追いをするタイプには思えない
『依存』『密告』と言う点でレイとリンクするところがあるが、二人の違いはどこだろうか
レイはイン先生がチャン先生に「あの子と別れるか、読書会に残るか」の二択を迫っている途中で
二人の痴話喧嘩のように見えて途中で逃げ出してしまう
レイの母は夫が暴力を振るっても、女遊びをしてきても、ただただ耐えてきた
離婚や逃げることも自死も選ばなかった。
狂信的に神仏と向き合ってきた彼女にとって、逃げることは
神仏を『信じられなくなった』と同等なのだろう
レイとレイの母、この似ている二人が唯一違ったところは
『信じる』と言う点なのではないかと私は推測する。
結局、レイがチャン先生の心が離れてしまったと思っていたことも
勘違いではあったし(恋人として結ばれることは叶わないだろうが)
ウェイ少年がレイに禁書を貸したのも『信じて』いたからであった
(夫は否定していたが、上級生であるレイの名前を知っているのも
恋愛感情とまではいかなくとも憧れや尊敬などは多少なりともあったからではないかと思う)
この映画が台湾で公開されたのは2019年、日本では2021年
アジアはもちろん、世界情勢は複雑さを増し
更には新型コロナウィルスと言う新しい脅威も生まれ
錯綜する情報に懐疑的になっている
わたしたちは「平凡に生きる」「信じる」と言うことが出来ているであろうか
レイやチャン先生が生きた時代からは数十年経ったが何か変わったであろうか
そう問われているような気がした
チャン先生がレイやウェイ少年に向けて伝える言葉は
生きている私たち=未来へのメッセージであると考えながら観るとまた違った発見があるかも知れない
尚、映画を視聴した後にゲームをプレイすると
チャン先生の扱いにガッカリするかも知れない
何故なら「チャン先生は読書会に一回も本を持ってきたことが無い」のだから