【カンボジアの歴史】100年近く前の新聞でも中国人の土地所有を懸念
昨年11月には、外国人の土地所有を認めないとの首相判断が報道されましたが、今も昔も…。100年近く前のカンボジア最古の新聞の社説を見つけましたのでこちらで抜粋してご紹介します。
「ノコーワット」新聞 1938年10月15日、1面社説
クメール国はどうなるのか
ノコーワットは、中国人を恐れ嘆いてきた。彼らはますます大勢がクメール国に入って来て住むようになり、あらゆる地域でクメール人の遺産である良い土地を全て奪って住む。クメール人は貧しくてお金がないことが多いから、美しい家を建てて住むことができず、それで大勢が森に逃げ込み、また隅っこや辺境に行って住み、良い土地は全て中国人にいってしまう。1938年に、カンダール州の全ての市街地で、ベトナム人がクメール人から土地を全部買い取ってしまった。今後全ての都会では、中国人とベトナム人の手が全てを支配し、我々クメール人は顔を上げることができなくなる。もう一つ、中国人は商売の道で有能で、入ってきて国中一面に店を開いて、毎年数百万の金を中国に送っている。
政府は、国の所有者である純粋クメール人の居住地区にして、他の民族と混じらないようにするために、そしてプノンペン市は中国の都市である、あるいはベトナムの都市であるかのように見えないように、プノンペン市の良い土地を1区画取っておくべきであると我々は理解する。
クメール国に庇護を求めて来て住んでいる中国人、べトナム人にクメールの国土の所有権を持つ権利を与えるべきでない。王の年代記にあるように、昔から戦って国土を守ってきた国の所有者であるクメール人に国土をとっておくために、期限付きで土地を借りて住む、あるいは作物を植えるだけで十分である。将来もし戦争があったら、再びさっと出て行ってしまい、血を自分の国土と換えるのはこのクメール人なのである。しかし、国土を守った人は自分の国に住むことができない。戦争から帰って来ると、無関心の中国人ベトナム人に住まわせて、全ての人が森に逃げ込むからである。(以下省略)
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ノコーワット(ナガラワッタ)はクメール民族の象徴ともいえるアンコール・ワットを意味し、1936年12月から1942年7月までカンボジアで発行されていたカンボジア最古のクメール語新聞です。
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