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【雑文】扶南テチョー運河についての個人的考察

運河の概要

扶南テチョー運河とは、プノンペン港付近のメコン川からタイ湾に面したケップ州の沿岸に至る新たな運河計画の名前です。建設予定の運河の全長は約180km。運河の開通に伴い、現在プノンペンなどからメコンデルタ(ベトナム領)を経由して輸出されている貨物が、ベトナムを経由せずに、世界にアクセスできることになります。2028年に完成するとされており、国民の祝日として国を挙げて祝った8月5日の起工式からは既に半年が経ちましたが、12月に測量が開始されたとの発表があっただけで、いまだに工事の開始は確認されていません。運河開通による主なメリットとしては、貿易促進、雇用促進などのほかに、観光促進や流域の灌漑による農業促進なども謳われています。

2028年に完成とされている

開発資金は

事業費は約17億米ドルを見込んでおり、当初は中国の国営企業、中国道路橋梁総公司(CRBC)から調達するとの報道がなされていました。西側メディアを中心に高まる批評などを受けて、カンボジア政府は中国ではなくカンボジア主体による開発であると発表し、2つの工区に分け、そのうちの1つを政府に近いカンボジアの会社と、プノンペン、シアヌークビルの2つの港湾公社の資金によって開発するとされていますが、その詳細は確認されていません。また、フン・セン上院議長は起工式の日に、Facebookで日本に投資を呼びかける投稿をしています。

その後工事が進捗していない理由として、資金面に問題があることを昨年11月にロイターが報道しましたが、カンボジア政府は雨季であったことなどを理由にデマであるとして、即座に報道内容を否定しています。

扶南とは何か

歴史を紐解くと、アンコール王朝からさらに昔、東南アジア最古の王朝とも言われる扶南はカンボジアの地にありました。その王都だったとも言われるアンコールボレイ(現在のタケオ州)とメコンデルタの交易都市オケオ(現在はベトナム領)は水路で結ばれており、オケオは東洋と西洋を結ぶ世界的な交易の拠点だったと言われています。オケオでは、インドの神像、後漢の鏡、ローマ帝国の金貨などが発掘されています。

カンボジア固有の領土だったメコン川下流域がベトナム領となった現在、新たに海につなぎたい思いがあるのではとも言われています。

扶南時代の運河についての説明(アンコールボレイ博物館)

テチョーとは何か

プノンペンで建設中の新国際空港の名称は、タクマウ・テチョー空港に決定しています。タクマウは空港が立地するカンダール州の州都の名前です。それ以外にも、ここ数年はテチョー平和博物館などが存在しています。このテチョーとは、カンボジア国王が授ける称号です。過去に与えられた人の役割を考えると、「将軍」と意訳しても良いかもしれません。この称号を、近年初めて授与されているのはフン・セン前首相一人です。自分の名前をつけるのは烏滸がましいけども、称号を用いて国家復興の英雄として名を残す動きだと言われています。

数百年にわたる海への渇望

地図を見れば一目瞭然ですが、カンボジアの海岸線は非常に少ない歪な形をしています。近世以降、軍事的強国だったタイとベトナムが海岸線を侵食しているのが明らかです。他国と海で直接つながるのは国家の安全保障上とても大事なことで、その貴重な海岸線が、コンセッションによって中国企業に与えられている現状には懸念を覚えますが、それは別の機会にして、ここではカンボジアがどのように海外とつながり貿易をしていたかについて、まとめてみます。

ベトナムの南進とカンボジア宮廷への影響力行使によって、古代の扶南の時代からカンボジアの領土だったメコン川のデルタ地帯は、ベトナムによって奪われます。大航海時代以降、海外との貿易が重要になった中で、カンボジアは日本との朱印船貿易なども盛んに行われていました。カンボジア国内には、プノンペンとウドンの2カ所に日本人町が栄え、メコン川下流域はヨーロッパの地図において「日本川」と記載されるなど、日本との関係性も深まっていましたが、17世紀以降はベトナムの南進による侵食を受け、急所をベトナムに握られた状況に陥りました。

ベトナムの南進の記録
第二次大戦中にプノンペンで撮影された「日本人町之跡」の碑
メコン川本流に日本川と記載されているのがわかる

海へのつながりを失ったカンボジアのアンドゥオン王は、首都ウドンからカンポットまで一直線に結ぶ王道を作り、ほぼ等間隔に8つの宿駅を作り、カンポットの町に西洋風のホテルを作るなど整備をして、ヨーロッパの商人を招致しました。しかしその利用は短命でした。カンボジアはフランスの植民地になりプノンペンへ遷都すると、下流のメコンデルタも同様にフランス領コーチシナになったため、プノンペンからの河川輸送が復活します。

1953年にカンボジアがフランスから独立すると、フランス領コーチシナは南ベトナムのものとなり、国家安全保障上の観点から、独自の海港の必要性が再燃します。シアヌーク殿下は、カンポットではなくコンポンソムの漁村を港湾として開発し、自身の名前をつけてシアヌークビルとしました。プノンペンとシアヌークビルを結ぶ国道4号線は当時、アメリカの支援で建設されました。近年、中国の投資によって同じルートに高速道路が建設されたのは歴史のいたずらでしょうか。ちなみにシアヌークビルへの高速道路をBOT契約で建設したのは、運河建設でも名前が取り沙汰されている中国道路橋梁総公司(CRBC)です。ベトナム国境までのカンボジアで2番目の高速道路建設も開発中ですが、運河同様に工事が遅延している模様です。
また、プレア・シアヌーク州の中心部は昨年2024年に、前国王由来のシアヌークビル市から古来の地名であるコンポンソム市に変更されています。

コンポンソム市に名称を変更する首相令

カンボジアを海と繋いだアンドゥオン王、シアヌーク殿下に続き、テチョー・フン・センが歴史的な運河を復活させる。私見ですが、そんな物語が脳裏に浮かんできます。

懸念される影響①中国

運河計画の発表以降、アメリカ系メディアなどは中国による軍事利用の可能性について指摘しました。しかし、このような水門式の運河がプノンペンまで通じても、軍事的なメリットは極めて低いと思われます。また、一部メディアはメコン川を通じてラオスから中国の雲南につながるような示唆をしていますが、カンボジアとラオスの国境地帯においてメコン川は数10kmにわたって渓流となっており、河川輸送は不可能です。フランス植民地時代には当時のフランス当局が調査を行い、ラオス側国境地帯のごく一部に簡易鉄道を敷設しましたが、メコン川を利用しての物流は不可能だと結論付けています。リアム海軍基地問題などについては中国の影響を懸念する状況にある事は確かですが、この運河に関しては軍事的な影響は無いものと思われます。

懸念される影響②ベトナム

下流域のベトナムからは、この運河によって、下流の水量が減ることへの懸念が表明されていました。カンボジア政府の説明や、国際メコン川委員会に対するレターなどによると、この運河は河川輸送を目的としたもので、水門によりコントロールされており、流出する水量は極めて限定的で、下流域に影響は及ばないとされています。しかし当初は、運河の建設により流域が灌漑や治水の利益を受けると言われていました。

国の誇りと想い

扶南、真臘、そしてアンコール王朝として、東南アジア大陸部で悠久の歴史を持ち、威信を示してきたカンボジアですが、近世に入ってからの数百年間はベトナムとタイの間で国家の存亡をかけた辛苦を味わってきました。国連暫定統治のもとで選挙が行われ、新たにカンボジア王国が発足してからも、日本を始めとした先進国や国際機関による支援によってインフラ整備が進められてきました。

プノンペン港からはベトナム経由で輸出できており、別途シアヌークビル港も存在する中で、古代の運河を再興することの必要性については疑問の声も上がっていますが、今回のプロジェクトは効率を重視するのではなく、カンボジア政府自身で選択した必要性ではなく必然性のプロジェクトなのかもしれません。カンボジア政府は2030年までの上位中所得国入りを目標として掲げています。そういった視点からも、カンボジアの新たな時代の兆しなのだと思います。

蛇足ですが、カンボジア政府の財政は、公的債務の対GDP比が低く、新興国としては健全な水準にあります。そういった状況の中でも、更に独自支出を抑制し、外国政府や民間企業等からの資金調達を優先するのがカンボジアの特色といえます。今後プロジェクトの進捗が滞った場合には、鶴の一声で運河プロジェクトを国家予算として計上する事は充分可能だと思われます。カンボジアの発展と、プロジェクトの今後の進捗を見守りたいと思います。

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